うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

感謝祭

いわゆるthanksgivingの週末で4連休でした。初日(thanksgiving当日)は大家さんの所属する教会のディナーにいくことに。ポットラックだというので、何か作ろうか?と聞いたら 忙しいだろうし疲れてるだろうから心配するな。お前の分も持っていくさかい。 と男前なお返事をいただいたのでお言葉に甘えてきました。(大家さんは女性です) 久々に(というとやばい感じがする)お腹いっぱいちゃんとした(笑)ごはんをたべました。食べすぎて次の日お腹痛くなって半日寝てたくらい… 

2日目はそんな感じで半日寝ていて、午後から始動。その割には効率よく色々できました。そういえば最近habiticaというアプリをはじめまして、これがゲーム脳の私にはとてもいいんです。todoや毎日やるべきタスクをいれこんで、それが達成されると経験値やらお金がもらえてレベルアップさせていける、という代物です。todoを限りなく細かくしてちゃかちゃか経験値があがるようにしてモチベーションをあげています。とてもよいです。

最近はこの年の終わりまでに博士論文執筆資格審査を通らないといけないということもあってそのプレッシャーで心が死んでいますががんばるしかないですね。心に余裕が無いとどうして留学生の私だけこんな目に遭わなければならぬのだ、とおもうんですが(アメリカ人にとってはあんまりタイミングは大事じゃないのですが、留学生は通ると1年150万の留学生料金がなくなるのででかいんですよ)、まあ5年でしっかり卒業するためには仕方ないと思ってやるしか無いです。

来週で授業が終わりです。信じられない。。自分が教えているクラスの期末テストの採点、そして成績つけがあって、さらに自分が書かねばならないペーパーが2つという状況ですがなんとかやっていきます。それが終わったら夫とぬくぬく冬休みです。贅沢していいものたべるぞ!!

ざわざわ

大統領選が終わって、無意識にかなりダメージを受けているみたい。夢にも出て来るし、眠れなかったりするし。周りもみんな本当に驚いているし、落ち込んでいる。でも私がここまで落ち込むのはおかしいんじゃないかとも思ってしまい、それでまた悩む。みんなが幸せに笑顔で暮らせる国になってほしいという、小学生でも考えられそうなことをただぼんやりと考えている

スタンダード

昨日院生室で耳に挟んだ会話でちょっと「うーん」とおもったことがあったので書いておく。まあ端的に言えば「授業は時間の無駄」とか「労働時間に事実上制約がない院生はちょっと」みたいな話だった。最近うちの博士課程のプログラムは博士で入っても途中でやめていく人がぼちぼちいる。それが悪いことだとは思わないけれど、なんというか異国からそれなりに覚悟と決意と希望を持って来ている自分としては複雑な気分になる。確かに授業が時間的な負担になることはあって、今学期も実質teachingをしているので余計につらいことはあるんだけど、それが「時間の無駄」だとはおもわない。なんというか消化不足でぷすぷすすることはあるけれど、それは自分のキャパシティの小ささが問題だったりするんだろうなあという結論になるし、授業そのものはどれも本当にいいな、とおもうので。でも私がそう思うのは日本でのあんな経験やこんな経験があるからだろうかなあ、とも思う。彼らにとっては、アメリカのこの学科のこのやり方がスタンダードなのである。比較対象が多分他にないんだとおもう。特に学部からそのままあがってきた学生は尚更そうだと思う。大学院生に事実上労働時間の制約がないっていうのは確かで、それがつらいとおもうこともあるけれど(休みの日に休んでいると罪悪感に襲われるとか)、私は日本でその研究に打ち込むっていう時間すらまともにとれなかったから、今現在の(i)ちゃんと教育経験とみなされる仕事をして(ii)それだけで生活に必要なお金がもらえ授業料が免除され(iii)すごい教授陣にサポートしてもらえる っていう環境はやめよう、っていう発想なんて本当につらい時以外持たないくらいとっても素敵な環境なのに。

この前夢で「あなたのビザに問題が有りました。もう大学院にはいられません。日本に帰ってください」って言われて、私はそこで「私がどういう気持ちでこの国に来てるかわかってるんですか?私はここでちゃんと研究をして、博士号をとりたいんです」って大泣きで訴えていた。その夢はなんというか私の「いつ出て行けって言われるんだろう」っていう不安を反映していてつらいきもちになった。

みたいな話を週1で話している知り合いにいったら、「あなたが真面目にやっているのはみんなわかっているから、大丈夫よ。そしていろんな場所の経験があるっていうことはきっと将来役に立つよ」っていってもらえた。たしかに、つらいおもいをしたら人に優しくなれる気がする。なんというか、私は私でここでできることをするだけなんだな、と何回目かわからないけれど改めて思ったりしたので、記録がてら更新。

新年度

クオーター制なのでようやく新年度が始まって一週間経ちました。フルの一週間をはじめて経験したあとの週末で、ぐだーっとなっています。

もう私の中では色々なことがありました

・はじめての日本語の授業
今年度は初級の日本語の授業をすることになっています。日本語を教えるのははじめてです。しかも一応instructorということになっているので学生の履修のあれこれとか、今まで先生に任せていたことを全部しなければならずあたふたあたふた。幸いにも教材は前の年のを流用できるんですが、去年受けていて落ちている子もとっていることもあり、ほんとにそのままというわけにはなかなかいきません 笑 朝8時のクラスなので、7時過ぎには教室について教室の椅子の配置を変え、色々準備をして学生を待っています。まあでもたのしいし、今のところ学生はまじめにやってくれているのでこのままがんばってほしいです。私もこのままがんばります。

・履修あれこれ
全て書くと長くなるのではしょりますが、ちょっと履修であれこれあって落ち込んだりしました。かいつまんで書くと指導教官たちとの間では私は今年はteachingもあるし、自分のことも勧めないといけないのでfinalがある授業を二つとるのは大変だからやめよう、ということになっていたんですが、それでfinalがない設定で授業を取ろうとしたらその授業の先生にはfinalがあってもそんなに負担じゃないだろう、といわれてしまって。そうか、そんな選択を取ろうとしていたのは甘かったんだろうか、と悩んで指導教官の先生方に「というわけなのでfinalがある版を取ろうと思います…この前話したのと違う感じになってすみません」とメールしたら即ちょっとまってまってというメールが飛んできて、思ったことを話したら一人の先生がindependent studyということで別に指導してくれることになりました。(ある程度の単位を取ってないとfull-timeとして認められないのは、日本の大学院と違いますね) なんというかただでさえ学科のお荷物だと思っているので期待されたことすらできないのはだめなのかなとか色々考えてしまいました。まあでもやっぱりアドバイザの先生がそれでいいというのですから、それを信じようと思います。

いろいろというほどいろいろじゃなかったかもしれない。

もうひとつ新学期に関係あるようで関係ないこと

・ひとのやさしさ
なんというかそんな中でも優しい人というのは周りにいて、そういう人たちの存在ってすごくありがたいんですけれど、なんというかそういう人たちを純粋に受け止められないなあと最近考えています。自分でもそれはひねくれ過ぎだよなあとは思うんですけど、そういう優しい人って自分がないがしろにして相手が自殺でもしたら後味が悪いから優しくしてるんじゃないかなあって思っちゃうんですよね。そうだとしたら気を遣わせて申し訳ないなあ申し訳ないなあ、とそういうことばっかり考えてしまいます。まあなんでそう思うかってそう直接伝えられたことがあるからなんですけどね。死なれたら僕が困る、と。なんというか今思えばそこは建前でも死んだら悲しいから死ぬなといっておくところでしょうよ、とおもうんですけれど、まあでも人の本音としてはそういうのが確かに素直な気持ちなんじゃあないかな、とも思います。死んだら悲しいから死なないで、というのは多くの場合ある意味無責任なことばでもあるわけで。そりゃ言ったから責任を取りなさいよ、というつもりはさらさらないんですけれど、なんというかそういう風に思ってしまうこともあるのです。しかしながら、後味が悪いから死ぬな、といわれると そうか死んだらこの人に迷惑がかかるのか、どうしたらいいだろう、遺書に全然関係のない理由をつらつらと書けば、この人はああ自分のせいで死んだのではない、とおもえて傷つかないのだろうか、などとも考えました。でも後味が悪いから死ぬな、もなんというかそれで生きねば、と思わせてるという意味ですごく無責任ですよね。そのつらさを負担してくれるわけではないのに。
まあそんなこんながあって、人の善意をそういう風にとってしまいます。お医者さんとかカウンセラだったらまあその人達はお金のためにやっているのだろう、と思い(まあそれは正しい)、先生や周りの人だったら死なれたらやはり後味が悪かったり学科の評判が下がるからだろう、だとか、あまりに私が駄目だから助け舟を出してくれているのだろう、申し訳ない、とおもってどんどん沈んでいきます。まあそういうひともいるかもしれないけど、そうじゃなかったらその人達にとってものすごく失礼な思考なのに。

これって、どうなんでしょうね。自己肯定感が持てないと変えられないのかな。

この辺の思考が最近ぐるぐるしているので文章化してみました。そんなことしている場合ではないのだけれども。あとこの一週間を9回繰り返せば1クオーターが終わり、もう数回繰り返せば配偶者が遊びに来てくれるはず。それを目標にまずは3ヶ月生きていこうと思います

ひこうきのなかで

なんだか映画を観る気にも何かをする気にもならなくて飛行機の中でこうランダムなことばをつらつらと書いている。2ヶ月くらいの一時帰国が終わって、そこから戻る機内の中なのだけれども、やっぱり夫とまた離れ離れなのはさみしい。ずっと寝起きを共にして旅行にも行ったりしてとても楽しかった。

だけれどもあまり仕事ができなかったかなあというのも確かで、一緒にいたらそんなんになっちゃうくらいならやめちゃって適当なお仕事でもしてそばで支えた方がいいのじゃないのかとか思ったりして。自分の意志でこうしていて迷惑かけてるのにこんなのでいいのかしらとかそういう気持ちが飛行機でさみしいと感じてからふつふつと湧いてきて、でもわたしはわたしなりに頑張りたくてでもそんなんでいいのかなとかおもったりして。とか書いてたらやっぱりぽろぽろ涙が出てきて、もう飛行機の中が薄暗いのをいいことにこっそり泣いている。

きっとまた少ししたら少しずつ1人の生活に慣れてきて、適当なご飯を用意して適当な時間に寝起きして、適当に1人が生活できればいいくらいな家事をするようになって、そうなるとまた2人で暮らしはじめたらお献立考えるのめんどくさいとか、洗濯物も洗い物もすぐにたまりすぎとか、飲み物もすぐなくなるとか、そんなことにイライラしたりするんだろう。でもなんというか2人でいるのが基本なのはやっぱりいいなあってこの帰国でしみじみ感じた気がする。楽しいし、毎日時差を考えないでおしゃべりできるし、片方が外食したときだってごはんの時間は同じだからそっちは何食べたの?って話ができたりする。元気がなければぽんぽんってしてあげることもしてもらうこともできるし、一緒にアイス食べて元気出そうとか、気分転換に散歩に行こうとかできるし。

そんな生活がデフォルトにできるのっていつなんだろう。博士号を取れても就職できてもそれができるかどうかは誰も保証してくれない。ベターな選択肢を選ぶためには選択肢のカードをたくさん持たないといけなくて、そのためには結局がんばらないといけない。でもわたしが頑張るのじゃ不十分かもしれない。頑張っても無駄かもしれない。とかぐるぐるしはじめちゃう。

でも応援してくれているからがんばりたい。ここで諦めたらそれこそ絶対一生後悔する気がする。そしてわたしも向こうには後悔がないように、やりたいことをやりたいようにやってほしい。そのためにはやっぱり今はつらいけど少し我慢するしかない。そうなんだろうなあ。

結局結論はいつもおなじで、そんなんじゃあ考えている時間こそ無駄で、その間にでも仕事をすれば良いのだろうけれど、頭と心はそううまく動いてくれないものだから、しかたないかな。

ここまで書いてもあんまり気持ちは落ち着かないけれど、少しはマシになったかも。新学期がいざ始まったら泣き言なんて言ってられないほど忙しくなるのかな。それは良いのか悪いのかわからないけど、がんばりたい。。…なんかいつも本当に結論がわからないし小学生の作文みたい。成長したい。。

日本に居ます

一時帰国してから結構経ちましたが,学会発表という重たいものがあったのでなかなか気持ち的におやすみという感じがないままここまできました.その件の発表は3日構成の最後の日の最後から二番目という順番でずっと緊張したままだったのですが,発表自体はなんとかこなせ,かつ招待講演者の先生と話す,という影の目標を果たせたのでよかったです.なんでおしゃべりしたかったかというと,私実はその先生と修士の出願でskype面接をしたことがありまして,その後先生が書いた論文が今私が興味を持っているテーマと近いこともあってお話したかったのです.私のことを覚えてらっしゃるかは微妙でしたが(あ,ちょっと覚えてるかも…とおっしゃっていました.いかんせん5年前の話なので…)その後楽しくお話出来て,それがなによりうれしかったです.日本人女性というのもあって,仲良く出来るのであればしたいなあという希望もありまして.

まあそんなこんなもあって,その後はお盆の帰省で義実家へ.今回はそこで色々思うところがありまして,配偶者に割と思いの丈をぶちまけてしまい,彼にもつらい思いをさせてしまいました.それについては申し訳なく思っているのですが,なんというかこれから先はお盆みたいな家族全員が集まらなければならないイベントみたいなものがあるときは避けて一時帰国して,できるだけ行く用事をつくらないようにしたいなあ,と思ってしまいました.しかし彼のおばあさんはいい人で,今回「他の人にはひみつだけどね,おばあちゃんはお嫁さんのこと大好き」って私にいってくださったのでお元気でいられるうちにたくさんあっておきたいという気持ちもあります.彼もおじいちゃんこ・おばあちゃんこなので余計に.なんといいますか,「実家」というか「ホーム」をどうするか,みたいなことを今回は考えさせられました.あ,彼のご両親にきっぱりと 日本以外に居を据えることも考えております といってしまったのですが,その時こそ何も言われなかったものの(面食らったのでしょうか)おそらく反対されそうな感じです.まあその時はその時で,どうにかします(考えを曲げる気はさらさらないです).

そんなこんなで,日本ってそういえばめんどくさいことがたくさんあるんだよな,というのを考えてしまった今日このごろなのです.もちろん配偶者といるのはいいことなんですけど,それを差し置いてもさっさとアメリカに戻りたいと思ってしまう.アメリカにはおいしいうどんはないけれど,ごちゃごちゃした面倒くさいことも,私が知覚できるものは日本より少ないのです.でもその少なさは,ひょっとしたら外国人であるということのアドバンテージかもしれません.そして,そのアドバンテージと思われることが,大統領選でどうなるのかも,わたしにはわかりません.ひょっとしたら,外国人である私が一気に住みにくくなってしまうかもしれない.まあ,その時にはその時で考えますけれど.

まあそんなかんじで,最近はいろんなことをぐーるぐるとかんがえています.考えるのも自然ですね.だって私もう27ですもの.お友達はそろそろ仕事について5年目?になるころです.私は未だに学生で,まだ3年学生期間があって,それでふらふらしているつもりはなくても,しているようにみえておかしくない,そんな生活をしています.将来どこにいるのだろう,仕事は何をしているのだろう,奨学金の返済が出来る程度のお金を稼ぎながらそれなりのQOLを保った生活を遅れているだろうか,とか,そういうことを考えてしまいます.でも,私の目標なんかある意味小さくて,乾燥機付きの洗濯機がほしいとか,そんなんです.それで,毎日適当なものを食べて,楽しく笑えて生活できていればそれでよくて.子供がほしいとか,そういうのがないから,そういうことがいえるんでしょうけれど.

私はあと2週間くらいでおばさんになるみたいですが,甥か姪には1年ほど会えそうにありません.まあ,そんな所在不明のおばさんが一人くらい居てもいいでしょう.

日本にいる間は運転する必要もないし,喋りながら飲む相手もいるのでお酒を呑むのが楽しいです.今も酔っ払いながらこれをかいています.せっかく滞在するのだから,あと少しの間を楽しく過ごせたらいい,過ごしたい,とおもいます.

低まりすぎた自己肯定感

前にtwitterで見かけたからかなんだか忘れましたが,どこかで読みたいなと思っていた本,休みになったしkindleで気楽に買えたので読んでみました.

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一言で言えば私はとても気に入りました.なんというか,「そうなのよそれそれ!」と思えることが多くて.大学で何度かカウンセリングみたいなものを受けたことがありますけれど,「なんで君はこの大学にまで来てそんなに自己評価が低いのかなあ?普通の人だったら人生ウハウハだっておもうくらいなんじゃないの」みたいなことを言われて「だってそう思えないんだからここに来てるんだろうが知らんがな」みたいな流れになって結局その人達としゃべるのをやめてしまったのです.

自分のいいところを探しましょう みたいなのはいやいや,とりあえずなにか決めたところで結局それが長続きしないというかそれもたいしたことないからダメだ,っておもっちゃうから駄目なんだよってずっと思っていたんですが,この本の基本的なスタンスは「相手を肯定していくプロセスで自分も肯定できるようになる」ということ.

自己肯定感,自分で言うのもなんですがここ何年かで少しずつあがってきている気がしていて,んー,なんでかな,おとなになったからかな?とか思ってたんですけど,たぶん自分をありのままに受け止めてくれる人が身近にいるようになったからなんじゃないかな,と思いました.例えばというか一番は配偶者ですけれど.

あとアメリカに来てからは,ここでは私はだめだめな学生なんだ,と開き直って不安なことわからないことはすぐ先生に相談するようになって,「みんなそうだよ」「不安になるのは当然のプロセスだよ」というかんじでそういったものを受け止めてもらえることが多くなったのも,「あ,これでいいんだな」と安心できる要因になっているんじゃないかと思います.

全体を通じて読んでいてここちよかったのは,筆者が「決め付け」をしていないこと.最初に書いたみたいに「あなたはここまでの学歴を持っているんだから恵まれているのに,なんでつらいの?」とかまず決められて聞かれちゃうともう何も言えなくなってしまう.でも本の全体を通じて筆者は「人それぞれにつらい理由はあるよね」っていうふんわりとしたスタンスで語ってくれています.それがものすごく心地よくて,さらさらと読んでしまいました.

こういった人にもう少し早く出会えていたら,とおもわなくもないですが,まあまだ人生は長い?はずなのでこれから少しでもよく生きられるといいなと思いました.自己肯定感が低い人にはそれこそ色々な理由があると思いますが,どんな理由の人でもすんなり入ってくる本だと思うので,とてもおすすめです.というか気に入りすぎて記事を書きました.つらくなったら読みなおそうと思います.