うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

うじうじ

10月になりました。今日予定されていた学会の採択通知をずっと待っていて、3回位ひどくrejectをくらう夢を見ました。昨日の夜も「気になって中途覚醒してメール見そうだからドリエルキメよう…」と飲んで寝たんですが、それでも夜中何回か起きてメールを見たりして、極めつけに we regret to inform you...でメールが始まっているのを見て絶望する夢を見たりしていました。最近夢の中の私はかしこく?なっていて、これは夢かもしれないからもう一度寝てみて起きて確かめよう、とかいうのを夢の中でして、それでも結果が変わらず絶望したりしています。それで本当に起きたときに私が何が本当だったのかわからなくなって、携帯でメールをじっくりと見返すことになったりして、大変です(ゴミ箱にメール行ってないかな、とか)。さすがに国際学会で英語で投稿したのに日本語で ぜんぜんだめ 笑 みたいな査読が返ってくると夢の中の私も何かがおかしい、と思うのはなんだか滑稽なんですが。(しかもその査読は匿名でなくて、それぞれに誰が査読したかを表す画像と名前入りのヘッダーがついているという謎仕様だった)

まあなんだかんだで採択されたらしく、それはうれしいことです。意気揚々と飛行機もとりました。パリの学会がその次の週なので、日本からパリへの飛行機も取りました。でも応募する事自体も迷ったので(直前までちょっと厳しいかなと思ってやめていたのだけれど、後悔するのも嫌だからと思い書くだけ書いて先生に伺いを立てたらgo for itといわれたので出した)、きっと数が少ないから質はあれだけど通ったんだろう、でも通すだけ通してくれたのだからそこはまあいいのでは、とかうじうじ考えています。それに配偶者に会えるから出した、という下心が0%ではないので、そんなんでよかったのかな、とか考えちゃったりします。でももちろん今学期teachingがなくて参加しやすいとか、招待講演が魅力的だからとか、そういうところでの理由が応募した理由の大きな割合を占めているので、うじうじする必要もないのかもしれませんが。なんか前に「なんだかんだで学会とかで会えるんだからいいよね」とか言われたことがあって、そうだけどその裏にはいろいろな葛藤が会ったりするのに、とか思ってしまってすごく腹が立ったので、また今回もそういうことを言われるのかなとか思って落ち込んでいるのかもしれません。旅ができるのもいいよね、とかいわれますが、なら要旨書いて発表するかオラとかいいたくなってしまいます。心がせまいので。大体そんなに観光する時間もなかったりするのにね。

でも後思うのは、最近ついったーで 「〜な発表を見て指導教員は何をしているのかと思う」とか「あんな質でやると一緒に仕事をしたいと思わなくなる」みたいなのを見ているので、自分がそういう立場になったらコワイとかいうことです。自分の身内がめちゃくちゃencouragingなことしかいわないので…。現に夏某所で発表したときにバッサリ切り捨てられるようなことをいわれて、なんというか別に批判されるのは研究している以上仕方ないんですが、もう少し言い方なかったのかなと思うこともあって、そういうのはなんだかうーん、と考えてしまいます。別に褒められてだけいたいというわけではなくて、自分の研究が良くなるアドバイスはもっともらいたいのだけれど、なんというか根本を否定して、しかもなんかそれで相手をべこっとへこませることに満足感を抱くような人もいるのだなあ、とかおもったりして。私はそういう風になりたくないなあ、と思っているんですが、甘いからなのか、どうなのやら。

大体人前で発表するのとか嫌いなので、その意味では研究者とかむいてないよなあ、といつも思います。でもまあお仕事というのは嫌なこともやるものだし、とおもうとまあ仕方ないのかな、という気もします。そういえば先生には、学会ではしっかりsocializeしてくるように、と言われました。これもすごく苦手です。でもどこか私のことを知ってもらえるとどこかで少し引っかかる確率があがるのかもしれない、とおもうと、まあそういうのも未来のために仕方ないのかな、とおもいます。

とりあえず今は将来今みたいな研究を少しでも続けられるようでいたい、奨学金を返しながらいつか配偶者と二人で慎ましくも幸せに暮らせるくらいの収入が得たい、とかそういうことを考えてがむしゃらにやろうとしています。研究を続けたい、は高望みかもしれないし、どこかでそういうお仕事がもらえる気が全然しないのですが、可能性をあげるためにやれることをやるしかないのが現状なんだろうなあ、と思います。そのあたりのモチベーションがなかったら、今頃心が折れていたかもしれなくて、その意味では配偶者にものすごく感謝しています。迷惑しかかけていないけれど。

あーーーー、というかんじで今過ごしています。2週間後はハワイで発表です。発表は通ったときにはよっしゃあ!なんですが、もうこのくらいになるといやだああああああああというふうにしか思えません。つらい。ついったーではかなりイキっているというかんじの研究者を時々見かけますが、私はそういうふうにはたぶん地球が反対に回りだしても思えないだろうなあ、と思います。でもなんというか、こういう人間でもやっていけるよ、というそんな意識の低いモデルになれたらと思う今日このごろです。(いいのか?

そういえば来月から家賃上がることになりました。45ドルアップ。とほほ。でも死にはしないので、強く生きていきます。

5000兆円ほしい

私の今学期の収入は日本円ベースなんで為替に大きく影響を受けるのですが、9月分送金されてきたのを見たらちょうど家賃が収入の半分でした。そうです。半分です。そんなすごいところに住んでるわけじゃないんですよ。私は性格的に他の人と共用するスペースが多いとストレスで死んでしまうので、一人のスペースができるだけ確約されているところに住んでいます。でもそれを優先してバスでいくなら1時間かけていかないといけないところに住んでいるわけです。それなのにそれなのに、ですよ。うちの学科ではないけれど院生でもホームレスになりかける人がいるのも頷けます。日本円ベースじゃなくても、家賃が高すぎる。生々しく今のレートで言うと、今払ってるのが9万5千円です。東京でもちょっといいところ住めるんじゃないですか。知らんけど。これだけ払っているのに居候。時々変な人がやってきたりする(大家さんの留守を預かっていたらとんでもないキャットシッターが来ました)。でも住むところはないとどうしようもないし、収入も増やせないので、これでやっていくしかありません。

なんというかあと数年で私も30歳とかになるらしいんですが、こんな生活でカップ麺や冷凍食品を食べて生きていると、毎日「安定した生活が欲しい」と思うようになります。でもそのためにはめちゃくちゃ頑張らないとアカデミアでのお仕事はもらえない。やっていくしかない。そうおもっても、今あるものを全て手放して諦めて適当なところで仕事をしたほうが、その意味では楽になるのではないかと考えたりもします。そうしたら夫とも住めるわけだし。

やっぱり夫と同じ空間にいられるのは精神的にはとても安定するんだなあと帰ってきてからの感情の起伏を考えると思います。ただ日本でそれがそこまで実感できなかったのも、まあ一人暮らしの部屋に居候していたし、私の居場所がないなあという気持ちからだったので、なんというか普通に二人が住むべき広さのところにつつましやかでも暮らせるようになれたら最高なんだろうなあとか、そういう気持ちです。


でもそのためにはまずお金… そしてそのためには業績… はあ…とため息をつくのを繰り返している今日このごろです。


そういえば秋にはいっぱい旅をします。ハワイに行ったり、パリに行ったり。日本はどうなるかしら?全部学会なので、そこはお金を出してもらいます(真顔) ほんと複雑であれなのですが、今ちょこーっと研究費が余っていて授業料を払うには足りないくらいなので学会費で消化したいところなんですよね。秋学期はteachingもないし、授業もないし、なんだかサバティカルみたいなかんじです。

そういえばこの夏に雑誌論文の査読を2本頼まれました。春にも1本頼まれてたのでこれで3つやることになります。自分は論文出したこと無いのに頼まれると複雑ですが、アカデミアの一員として認められている気分がして、いいですね。私もはやく論文を出版したい…

あとあれですね。あと2年でここでの生活が終わりというのがめちゃくちゃ現実味があってつらいのもあるとおもいます。しかしそれはどうしようもない… もう、にゃーん、とかいっておくしかないですね。にゃーん…


そういえば9月末に友達がサンフランシスコまで遊びに来てくれます。サンフランシスコ、初観光です(まるまる3年このエリアにいるのに)。海をこえて会いに来てくれる友達がいるって幸せですね。とりあえずそれまでがんばろうとおもいます。

Mind your own business

日本への一時帰国から帰ってきました。やっぱり夫と過ごす時間はとてもいいものです。まず時差がないのが最高ですね。それに加えて同じ空間にいればご飯も一緒に食べられたりするし、言うことなしっていう感じです。ご飯も大したことないものしか作れないですが、それでも「おいしい」って食べてくれる人がいると作りがいがあるというものです。北海道でもたくさんおいしいものを食べましたが、やっぱり一緒だと幸せが倍増だなあとじんわりおもいました。一人で食べるのもいいけれど、「ねえあれおいしそう」「これおいしいね」と言い合いながら町を回ったり食事をするのが、わたしはすきです。ただし割と深い仲でなければ緊張するだけで楽しめないのですけれど。

もちろんわいわいきゃっきゃで終わるばかりではなくて、ちょっとした小競り合いもあったりしました。まあ普段喧嘩をする機会すらないですからね。でもそのだいたいのことが、もう少しお金がもらえて安定したところに居を構えられたら解決するんじゃないかという感じで、まずはそういう力がほしいなあと思いました。まあ狭い部屋に二人で暮らしていれば不便なことなどあるものですからね。

あとやっぱり今回の一時帰国でも思ったのは、どうしても周りに自分の幸せを押し付けてくる人が多いなあということですかね。結婚したのに別居なんて大馬鹿だとか、子どもが居なければさみしいとか、結婚しなければ責任が発生しないからよくない、だとか。どれもこれも「は?」というようなことだけれど、豆腐メンタルの私が聞くと「そういうもんなのかな」とか思ってしまって、配偶者に申し訳なく思ってしまったりしました。私は私自身の選択でこういう人生を送っているけれど、どっちかというと夫は巻き込まれている側でもあるので。でもそういう意味では夫にそういうことを言う人達が本当に許せなくて、怒るべきだけど怒れないまま帰って悔しくて一人でむきーっとする、みたいなこともありました。

なんというかまあ親とかだったらまだいいのかもしれないけれど(いやよくないとも思うけど、なんだかんだ子どもへの責任は感じているだろうと思うので、何かを言う権利くらいはあってもいいとおもう)、そうじゃない人まで「ああしなきゃ幸せじゃない」とか、本人じゃない親兄弟のことまで聞いてきたりとか、なんなんだろうなあ、とおもいます。ほんと、それこそタイトルのように思うわけで、私(たち)はそれぞれ良いように生きているので本当に放っておいてほしいと思ってしまいます。学生扱いも本当めんどくさいのでやめてほしい。まして今院生でお給料ももらっているのだし。お金はないから裕福な幸せはできないけれど、ちょっと豪華なカップめんを食べたりサイゼで豪遊したりで、わたしは幸せなのでそれでいいんです。とやかくいわれても、本当に迷惑だと思ってしまうだけ。「これでおいしいものたべなさい」とお金を渡されるのも、いつ「誰が食わせたと思ってるんだ」といわれるのがいやなので本当に嫌です。こういうのは小さいときからのいろいろな経験の積み重ねの結果なので今更どうにか出来るものでもないし染み付いているので、もうそれで生きていくしか無い。でも私はそんなんでも幸せなんですよ。あなたはそうじゃないかもしれないけれど。


はあ…
というわけで一時帰国は幸せだけどストレスフルです。どうしたらストレスフル成分を無くせるかというとやっぱり隠密に帰るしかないのかなあ。

カリフォルニアは涼しくて、乾いていて、とても快適です。早く頭と身体を仕事モードに直さなければいけないので、がんばります。
(戻ってきて次の日の今日はカリフォルニアの夜と日本の夜両方寝てしまいました 合計14時間睡眠…)

3年目の終わり

さて先週末に授業の課題を全部終わらせて3年めが無事終わりました。あと課程も2年です。
今年一番大きかったことは何回書いたかわかりませんが、試験を通ったっていうことです。そこに至るまでのプロセスがいかんせん長かったし、なんというかまわりの環境的にかなりストレスだったので今本当にI'm feeling great!!!!って感じです。でも未だになぜ指導教員の先生が私の気持ちをかなりの程度で汲み取っていたのかが謎です。配偶者に話をしたら「顔に出てるんだよ 特に眉毛」っていわれました。そうなのかもしれないし、彼・彼女ら自身留学生だったのでそういうところで私みたいなストレスフルなことがあったのかもしれません。なんというか日本にいたときよりは100倍恵まれている(電車で時間をかけてバイトに行かなくていい・TAや授業をするのはバイトっぽいが貰える金額とサポートがぜんぜん違うし(保険がつく)何より実質的な指導経験としてカウントされる)んですが、それでも留学生だからってこういうのはひどいよ、つらいよ と思うこともなくはなかったです。研究は一番しないといけないことなので、やりたいことをやっているはずなんですが、締切に追われているというのはなんというか別個の辛さがありました。アドバイザの先生にも、試験が終わったあとに「これで締め切りを気にせずに研究ができるね :-)」といわれて、「それな!!!!」と思いました。2年間博論を書くまでに時間がとれるので、堅実に研究して進めていきたいです。

あと今年大きかったのは日本語を1年教えたことですね。TAではなく教員として教えたので、その意味でかなり不安だったりしましたがなんとか1年終えられました。なんというか殆どの学生はいい子たちだったのに救われた気がします。最後の学期はカンニングだったりチートに悩まされましたが、まあある意味そこも経験出来たのは良かったと思います。日本語の先生たちにも本当にお世話になりました。へなちょこでしたが「あなたが人数が少ない朝8時に教えることがなるのは本当にもったいないことをした」と一度言ってもらえたのは嬉しかったです。来年も教えられる?ときかれましたが、アドバイザの先生には「言語学のTAをするほうがキャリア的に良いよ」といわれたので来年は言語学のTAをします。しんたくすとせまんてぃくすで、前者はちょっと不安なんですが、学科として色々な科目を教えられるように、というのは考えているのがわかるのでこれで鍛えられようと思います。

夏は自分の研究をうまく進めたいところです。とはいっても正直ちょっと休みたくもあるし、先生にも「休んでいいよ」といわれたので字義通りに少しゆっくりしようと思います。とはいってもありがたいことに少なくとも2箇所でトークをさせて頂くことになっているので、そこは3年目の集大成としてしっかりしたお話ができるようがんばろうと思います。あとは最近reject続きなのでいい知らせをもらえるよう精進するのみです。

これからは学生と言うよりいもう「こちら」側だよ、とアドバイザの先生に言われました。そんな自覚はまだ湧きませんが、とりあえず良い博論が書けるよう、job marketである程度目をつけてもらえるような存在になれるよう、がんばります。

PhD candidate

になりました!試験通りました!わーい

ということで今日口述試験がありました。発表して、質疑応答して、外に出されて結果を言ってもらって、というかんじの。やっぱり緊張したからか朝は3時半に目が覚めてしまい、朝7時の誰もいないオフィスで最初の発表を練習すればするほど不安になり、うわーーーーとなっていましたが無事合格をもらうことができました。ペーパーもminor revisionでOKだとのことです。やったー

終わったあとアドバイザの先生たちに 本当にこの1年よくがんばったね。 っていってもらえて、なんというかそういってもらえるのはうれしいけれどその言葉通りにがんばれたんだろうかとも思ってしまって にゃー となったりしました。なんかみんな うどぱんはいつも俺らの先をいってるよね とか うどぱんならいける とかいってきて、そんな私が今こうやっているのは留学生だからそうしないといけないからだし、やらせてくれるのも通してくれたのも先生たちが優しいからだから…と思っていてそれがずっとずっとストレスでした。

私はいつも「どうしてわたしがこの大学に?」と思っていて、周りの同期は「3年でこの試験を通るなんて無理」といっていて、そんな中で落ちこぼれの私が無理と言われてる試験を3年でそれを突破しないといけない、というのは本当に本当に重かったです。書いたか忘れましたが先生に「節約すれば秋に延ばしてもなんとかなるかも…」と漏らしたこともあったくらいです。でも「通過点だからとりあえず終わらせよ」と言われて「そういうことなら…」とやってきました。ここまできてもやっぱり通してもらえるのかが心配で、万が一通してもらえなかったら留学生の身分でお金を貸してもらうことはできるんだろうか、と色々昨日あたりまで考えていました。

外部審査員の先生もとてもいい方でした。感激。keep in touchできるといいな、と思います。

あといわれてうれしかったのは、 あなたはミーティングするたびにちゃんと何かを進めてもってくる。そういうところに私たちは感銘を受けてるのよ というところですね。わたしとしては毎回自転車操業でこんなんでいいんだろうかわあああと思いながらミーティングしているので、そう思ってもらえているのは本当に嬉しかったです。

なんかもう感謝のラップが出てきそうなくらい頭の中が感謝の気持ちだらけで非常にあれなのですが、同時に こんなダメ人間に優しくしてくださる人々が尊すぎて私が生きているのが申し訳ない…となったりもします。まあもうこればかりはどうしようもない…w

あと、今日夕方に日本語関係のパーティーがあって、「その日が試験なので落ちてなかったらいきます…」とお返事をボスにしていたのですが、「受かりましたー!」って出席したらなんと名前入りのおめでとうケーキを用意していてくれました…!ほんとに感激しました。あとでお礼メールをしたら、「自分のときも本当にドキドキだったので、あなたが合格したのも自分のことのように嬉しい」ってメールしてくださって、なんというか私は周りの人に恵まれ過ぎだな、とおもいました。

なんでみんなこんなにやさしいんだろうか…この土地が人々をそうさせているんでしょうかね。

何はともあれ、あと2週間で今年度も終わりです。夏は夏で、やらないといけないことがまっています。この試験は終わりではなく始まりなので、PhD candidateとしてはずかしくないようしっかり生きていこうと思います。

defense draft提出

執筆資格審査(と日本で呼ばれるものに完全に対応しているかわからないですが)のためのペーパーのドラフトを今日提出しました(試験2週間前)。
まあ他の人によると試験をすると決まった時点でほぼやることはやっているということだし、アドバイザの先生もこれを提出したら君の今年度は終わりだ、といってきたのでそういう位置づけのものです。試験本番はこれからなんだけど。

で、今日メールで提出したあと廊下でアドバイザの先生にあったら
Congratulations! I'm so proud of you.
っていわれて、唐突だったので泣きそうになってしまいました。いやほんとに。

というかほんとすごい先生なのにこんな学生の面倒をみないといけなくて大変だろうに、その先生が自分にpround of youっていっているわけだし、私もこの1年色々ぐるぐるつらかったのでちょっと感極まってしまいました。

でも少し時間がたった今、proud of youなんていってもらうにふさわしいくらい自分は頑張ったんだろうか、と逆に考えてしまったりします。むつかしい。
そして実際のペーパー読んでがっかりしてないかな、とか。なんか考えても仕方ないんですけどね。

さて、今週末は少し東の方の学会に参加します。配偶者が発表するので、応援です。
自分は少し荷が降りた状態で参加できるのでちょっとほっとしています。

28

になりました。

とりあえずの目標はQualifying Examを無事に終わらせることです。最近外部審査員の先生とSkypeミーティングしたんですが非常に良い方で安心しました。これで当日不意打ちで落とされるということはなさそうです…(多分

とりあえず23日までに最終原稿を出さねばならないので、がんばります。そのあとはシカゴに夫の学会発表を応援しにいったりして、すったもんだしていたら学期末になる予定です。

実年齢と中身が全く伴わないままどんどん老いていきますが、まあやっていくしかないだろうとおもうのでそんな感じで生きていこうと思います。28のわたくしもみなさんどうぞよろしくおねがいいたします。