うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

夏の終わりと新婚生活の終わり

9月に入った瞬間にあと1週間で渡米になった.昨日の雨から一転晴れて暑くなった今日は小さな箱2つに荷物を詰めて二人でえっちらおっちらと郵便局まで運んでいった.一つは船便,一つはエコノミー航空便で.中には他愛もないものしかはいっていない.持っていかなくてもいいくらいだけれど,まあ捨てるのも忍びないし,とかいうものが入っていたりもする.他に必要なものは向こうで買えばいい.

新婚生活,というのがどう定義されるのかわからない.3ヶ月くらいだったらもう終わっているし,1年だったらその終わりを待たずに渡米するということになる.まあ,どちらにしても早々に初々しさなんてなくなってしまったし,新婚生活,といっても何かが大きく変わった,っていうかんじはない.同棲なんてしていなかったけれど,今までしていたような自然さ.良くも悪くも.

修士1年から一人暮らしをしていたわけだけど,その前までも家事なんて手伝わなかったし,一人暮らし中もカップ麺や半額弁当で生きてきた私が,スーパーのチラシをにらみ,クックパッドで検索をかけ,携帯を脇におきながらなんとか料理をつくる.それを食べる側の方の人は,いつも「ごちそうだね」といってニコニコ食べる.本当においしいのかはよくわからない.私は基本的に褒め言葉はそのまま受け取れない.まあそれでも,食べられないものではないかな,と思いながら細々作るし,向こうも時々慣れないながらも何か作ってくれる.今日は昼食に簡単にパスタを作ったけれど,やっぱり「ごちそう」だというので,「『ごちそう』で表される指示対象には何が入るんですか」と聞いてみたところ「…もうすぐ食べられなくなるもの」という泣ける返事が返ってきた.

一人になるのも一人にするのも,私が下した選択によって,というわけで私がうじうじいってはいけないのだと思う.私は頭が悪いなりに考えて考えて,そうしたい,そうしたほうがいい,そうしないといけない,と思ったから.でもやっぱり寂しくないわけではない.周りの人は私たちの短い新婚生活の話をすると主人が「かわいそう」だという.私はそれを聞いてとっても心が痛む.やはり彼にひどいことをしているのではないかということと,そして周りには私が寂しがるとは思われていないんだろうな,ということに.そういう選択をしたほうなんだから,ということなのかもしれない.まあ,それはわかる.でも,そこをわかってもらえないのか,とおもうとなんとなくぐっとくるものがある.

そりゃあ,好きな人がいるそばで励まし励まされながらできたらどんなにいいか.でも,それは自分にとってためにならない,というのがまず一番最初にある.留学はずっと前から考えていたことだから,結婚で曲げられるものではない.それを冷たいという人もいるかもしれないけれど,私は普段しにたいと感じているからこそ,持ってしまった人生を悔いなく過ごしたい.

これが周りに伝わっているからかどうかわからないけれど,自分の家族,配偶者とその家族,親しい友人にはとても温かい励ましをもらえている.これに対してありがたいというよりも先に申し訳ないと思ってしまうのが私だけれど,でも本当に有難い.

今日はこれから友達に会うけれどこの子が最後に会う友達になりそう.あと数日の時間,残された片づけを細々としながらゆっくりした時間を過ごしたい.