うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

新年度

クオーター制なのでようやく新年度が始まって一週間経ちました。フルの一週間をはじめて経験したあとの週末で、ぐだーっとなっています。

もう私の中では色々なことがありました

・はじめての日本語の授業
今年度は初級の日本語の授業をすることになっています。日本語を教えるのははじめてです。しかも一応instructorということになっているので学生の履修のあれこれとか、今まで先生に任せていたことを全部しなければならずあたふたあたふた。幸いにも教材は前の年のを流用できるんですが、去年受けていて落ちている子もとっていることもあり、ほんとにそのままというわけにはなかなかいきません 笑 朝8時のクラスなので、7時過ぎには教室について教室の椅子の配置を変え、色々準備をして学生を待っています。まあでもたのしいし、今のところ学生はまじめにやってくれているのでこのままがんばってほしいです。私もこのままがんばります。

・履修あれこれ
全て書くと長くなるのではしょりますが、ちょっと履修であれこれあって落ち込んだりしました。かいつまんで書くと指導教官たちとの間では私は今年はteachingもあるし、自分のことも勧めないといけないのでfinalがある授業を二つとるのは大変だからやめよう、ということになっていたんですが、それでfinalがない設定で授業を取ろうとしたらその授業の先生にはfinalがあってもそんなに負担じゃないだろう、といわれてしまって。そうか、そんな選択を取ろうとしていたのは甘かったんだろうか、と悩んで指導教官の先生方に「というわけなのでfinalがある版を取ろうと思います…この前話したのと違う感じになってすみません」とメールしたら即ちょっとまってまってというメールが飛んできて、思ったことを話したら一人の先生がindependent studyということで別に指導してくれることになりました。(ある程度の単位を取ってないとfull-timeとして認められないのは、日本の大学院と違いますね) なんというかただでさえ学科のお荷物だと思っているので期待されたことすらできないのはだめなのかなとか色々考えてしまいました。まあでもやっぱりアドバイザの先生がそれでいいというのですから、それを信じようと思います。

いろいろというほどいろいろじゃなかったかもしれない。

もうひとつ新学期に関係あるようで関係ないこと

・ひとのやさしさ
なんというかそんな中でも優しい人というのは周りにいて、そういう人たちの存在ってすごくありがたいんですけれど、なんというかそういう人たちを純粋に受け止められないなあと最近考えています。自分でもそれはひねくれ過ぎだよなあとは思うんですけど、そういう優しい人って自分がないがしろにして相手が自殺でもしたら後味が悪いから優しくしてるんじゃないかなあって思っちゃうんですよね。そうだとしたら気を遣わせて申し訳ないなあ申し訳ないなあ、とそういうことばっかり考えてしまいます。まあなんでそう思うかってそう直接伝えられたことがあるからなんですけどね。死なれたら僕が困る、と。なんというか今思えばそこは建前でも死んだら悲しいから死ぬなといっておくところでしょうよ、とおもうんですけれど、まあでも人の本音としてはそういうのが確かに素直な気持ちなんじゃあないかな、とも思います。死んだら悲しいから死なないで、というのは多くの場合ある意味無責任なことばでもあるわけで。そりゃ言ったから責任を取りなさいよ、というつもりはさらさらないんですけれど、なんというかそういう風に思ってしまうこともあるのです。しかしながら、後味が悪いから死ぬな、といわれると そうか死んだらこの人に迷惑がかかるのか、どうしたらいいだろう、遺書に全然関係のない理由をつらつらと書けば、この人はああ自分のせいで死んだのではない、とおもえて傷つかないのだろうか、などとも考えました。でも後味が悪いから死ぬな、もなんというかそれで生きねば、と思わせてるという意味ですごく無責任ですよね。そのつらさを負担してくれるわけではないのに。
まあそんなこんながあって、人の善意をそういう風にとってしまいます。お医者さんとかカウンセラだったらまあその人達はお金のためにやっているのだろう、と思い(まあそれは正しい)、先生や周りの人だったら死なれたらやはり後味が悪かったり学科の評判が下がるからだろう、だとか、あまりに私が駄目だから助け舟を出してくれているのだろう、申し訳ない、とおもってどんどん沈んでいきます。まあそういうひともいるかもしれないけど、そうじゃなかったらその人達にとってものすごく失礼な思考なのに。

これって、どうなんでしょうね。自己肯定感が持てないと変えられないのかな。

この辺の思考が最近ぐるぐるしているので文章化してみました。そんなことしている場合ではないのだけれども。あとこの一週間を9回繰り返せば1クオーターが終わり、もう数回繰り返せば配偶者が遊びに来てくれるはず。それを目標にまずは3ヶ月生きていこうと思います