うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

スタンダード

昨日院生室で耳に挟んだ会話でちょっと「うーん」とおもったことがあったので書いておく。まあ端的に言えば「授業は時間の無駄」とか「労働時間に事実上制約がない院生はちょっと」みたいな話だった。最近うちの博士課程のプログラムは博士で入っても途中でやめていく人がぼちぼちいる。それが悪いことだとは思わないけれど、なんというか異国からそれなりに覚悟と決意と希望を持って来ている自分としては複雑な気分になる。確かに授業が時間的な負担になることはあって、今学期も実質teachingをしているので余計につらいことはあるんだけど、それが「時間の無駄」だとはおもわない。なんというか消化不足でぷすぷすすることはあるけれど、それは自分のキャパシティの小ささが問題だったりするんだろうなあという結論になるし、授業そのものはどれも本当にいいな、とおもうので。でも私がそう思うのは日本でのあんな経験やこんな経験があるからだろうかなあ、とも思う。彼らにとっては、アメリカのこの学科のこのやり方がスタンダードなのである。比較対象が多分他にないんだとおもう。特に学部からそのままあがってきた学生は尚更そうだと思う。大学院生に事実上労働時間の制約がないっていうのは確かで、それがつらいとおもうこともあるけれど(休みの日に休んでいると罪悪感に襲われるとか)、私は日本でその研究に打ち込むっていう時間すらまともにとれなかったから、今現在の(i)ちゃんと教育経験とみなされる仕事をして(ii)それだけで生活に必要なお金がもらえ授業料が免除され(iii)すごい教授陣にサポートしてもらえる っていう環境はやめよう、っていう発想なんて本当につらい時以外持たないくらいとっても素敵な環境なのに。

この前夢で「あなたのビザに問題が有りました。もう大学院にはいられません。日本に帰ってください」って言われて、私はそこで「私がどういう気持ちでこの国に来てるかわかってるんですか?私はここでちゃんと研究をして、博士号をとりたいんです」って大泣きで訴えていた。その夢はなんというか私の「いつ出て行けって言われるんだろう」っていう不安を反映していてつらいきもちになった。

みたいな話を週1で話している知り合いにいったら、「あなたが真面目にやっているのはみんなわかっているから、大丈夫よ。そしていろんな場所の経験があるっていうことはきっと将来役に立つよ」っていってもらえた。たしかに、つらいおもいをしたら人に優しくなれる気がする。なんというか、私は私でここでできることをするだけなんだな、と何回目かわからないけれど改めて思ったりしたので、記録がてら更新。