うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

燃えていたのは私かもしれない

院生が某大学のキャンパスで焼身自殺をしたということが大きな話題になって、私は「彼は私だったかもしれない」という側の人間でした。それをめぐるついったのタイムラインでの色々なやり取りを見るだけでこの週末はなんだか疲弊してしまいました。

死ぬことはないのに という言葉は、とても無責任だと私は思います。特についったのようななんでも吐けるようなところに、死んだ人のことも知らないで言う言葉じゃないと思います。その一言を言う以外に当人に何かが出来たわけでもないでしょう。死ぬのだって、きっと悩みに悩んで選んだ結果で、特に完全な部外者がとやかく言えることではないと思います。

今ここまで生きている中で、いくつか違う人生を送ることがあったかもしれない分岐点があると思うんですが、その中のどれか一つ違うところを選んでいたら彼は私だったかもしれないし、これから先にそういうルートに行くことがないとも言えません。私は留学したい理由を聞かれたときに そうじゃなければ研究が続けられないと思うからです(金銭的な意味で) と答えました。私はまだ恵まれていたほうだとも思います。実家から東京の大学に通える距離でしたから。某振興会のとくべつけんきゅういんの結果がふさいようCだかなんだかとりあえず一番下だったんですが、その結果を奨学金の面接2つの前にもらったときは、 ああ、もう駄目なんだな と思ったものです。もしも博士課程の学費が見繕えなければ、とりあえず博士課程には進むという体にして、休学して、職を探そうと思ってはいましたが、そうした未来が目の前に見えたときには当時バイトしていたコンピュータ室でこっそり泣いたのを覚えています。

まあそれからミラクルがたくさんおこって、今こうしてアメリカにいるわけです。でも私は優秀だから来れたんじゃない、たまたま奨学金という宝くじを当てたから来られたのだと、最終年度の今もずっと思っています。沢山の人が「努力家だね」というようなことを言ってくるけれど、私としては全然そんなことはないし、人より頑張らないと人並みになれない、とおもっているだけです。運も実力の内、という言葉もありますけれど、そうだったとしてその実力がこれからもどうにかなるのかはわかりません。そうしたらまずは、今できることで可能性を広げることをやっていくしかないわけです。

こういうところで自己責任のような単語を出されるとつらくなりますね。そりゃそうだけどそんなこといったら誰の人生もそうだと思うし、どういう選択肢をとっても最低限の文化的生活を送れるようになればいいなと思うのが、筋じゃないですか。私はそういうところにガツンと貢献できる何かができるようにはならないと思いますが、少なくとも周りの人がそういうふうにできる手助けはしたいと思っています。

はあ。という今はくろんを書いていますが、つらいですね。今までやってきたことをまとめるだけでも、なんだかつらい。本を書くようなものとはよくいいますが、しゅうろんの短さのものを書いていてあんなにヒィヒィ言っていたのはなんだったのかという気持ちにもなりました。つらさの対策、どうしたらいいのか自分でもわかりません。とりあえず書いて書いて書くだけですかね…。。

あとよくわからないんですが最後のクオーターにもう一つ講師として授業をすることになりました。TAする予定だった授業がどうやらキャンセルになったらしくその都合でなんですが、最終クオーターが死ぬほど忙しくなりそうです。つらい。でも、やれる?と打診をもらえたことと、ここでにほんごがくのような授業をできることはとても嬉しいので、最後までやりきって当たって砕けてから日本に帰りたいと思っています。精一杯緑を輝かせて散ります。