父が死んだ
毎年同じような内容だけど年末年始何かしらはここに何か書いていたけれども2025/2026はそれができなかった。12月11日に父が死んだからだ。今これを西へ向かう新幹線の中で書いているけど(追記:実際書き終わらなくてそのあと複数回に分けて書いている)、そうしようと思ったのは新幹線の中なら泣くことはないと思うのである程度冷静?に何か書けると思ったから。
かといって何をここに書いて残しておくべきなのかというのもわからない。個人的にどこかにメモしておけばいいのかもしれないけど、そうすると多分永遠に書かないとも思うのでまあつらつら書いておこうと思う。
書き終わったあとの短いまとめ:
- 父が死ぬときめっちゃ色々あってマジ大変だった
- いきなり死ぬと遺された側はマジ大変
- なんだかんだで父が死んで悲しい
- 人生
ここには父が難病だと診断されたことも書いていた。その時点で言われた余命は3年半。そこから1年ちょっとで実際は亡くなってしまった。良くなる可能性は0%だし、急に悪くなって死ぬ可能性もあることはわかっていた。「良いタイミングなんてない」ってパートナーに散々言われたけど、ただただタイミングが悪かった。
海外出張の出発前日に救急搬送されて、そこで出張をやめようかとも考えたけれども、家族の話だと行っても大丈夫といわれたので行くことにした。なにより、出発当日に本人から電話があってまあちゃんと話せていたし何よりその電話でまたお金を求められたのもあって、非常に複雑な気持ちで出発した。このときに「情けない親父でごめんな」といわれたのが印象的だった。出張中も時差が合う時間には家族に連絡を取って状況を聞いていた。2日で退院したけれども、一気に弱々しくなって介護が必要な状況なことはわかったので日本に帰ったあとの週末にでも実家に帰って話をしないとな、と思っていた。
日曜日夜:羽田空港に着陸(字義)して、LINEでパートナーに日本ついたよーとメッセージするとすぐに「できるだけすぐ実家に向かって」とメッセージが来た。他の家族からのLINEのメッセージからは深刻さがわからなかったけど、私が空を飛んでいる間にまた搬送されていよいよ長くないと言われたらしい。羽田から直接タクシーに乗って埼玉の病院に向かった。目的地が病院ということで、タクシーの運転手さんは「できるだけ速いルートでいいですか」と聞いた後ずっと黙っていた。
病院についたとき家族はまだ父が個室をあてがわれるのをずっと待っている状態だった。すごく長く待っていたらしい。あとから聞いた話では、どこも受け入れてくれず、この病院は「断らない」がモットーだから受け入れてくれたという流れらしい。しばらく待っていると部屋が決まったのでそこに運ばれた父と対面した。意識もあったし、ちゃんと話せていた。間に合って良かったと思ったと同時に、ここまで急がなくても良かったのか?とか、京都からわざわざパートナーに来てもらわなくても良かったのでは?と思ったりした。搬送されたときの医者は、「今週もつかどうか」という話をしていたと聞いたので、その割には元気だな、という印象。その日は急遽取った池袋のホテルに泊まった。(京都から来てくれたパートナーとここで合流した)
月曜日:病院にいった。私から見ておじさんとおばさんもきてくれた(母の兄夫婦)。ここに書いていたか忘れたけどこのおじさんおばさんは非常に人間的にできた方たちで、特におばさんとはデートと称して二人きりであってお話を聞いてもらっている。浦安から埼玉に来てくれて申し訳ないがありがたかった。そのあとお医者さんから、この病院には長くいられないので状態を見て緩和ケアに移ってもらわないと行けないという話をされた。あとでこれはあくまで形式的な話だったんだなということがわかることになる。このあと横浜に帰った。
火曜日、私は朝から電車に乗って実家へ。銀行口座や支払いのことなど何も死んだ後のことなど用意してなかったので、せめて残っている現金は早く引き出すべきだとパートナーからアドバイスを受けたからだ。行く途中で、母親が発熱していたことを知る。それもあって私が銀行関連の手続きをすることになった。父はまだ話す元気もあったので、委任状へのサインももらえた。母は「サインも難しいと思う」といっていたが、しっかりとした父の字だった。ちなみに私の苗字の筆跡は父に似ている。
諸々終えてパートナーと合流し埼玉のホテルにいったところ、母がインフルエンザだったということが判明する。もちろん病院への面会は行けない。謎なのだがこのとき実家近辺のホテルはだいたい満室で、安いけどめちゃくちゃ評判が悪いところか、普通のホテルなのにめちゃくちゃ高いところかしかない状態だった。月曜と火曜の仕事は危篤ということで休ませてもらったけれども、木曜日の仕事はそうはいかなそうだったから水曜日あたりに家に帰るつもりだったので予定を変えることに。その時泊まっていたホテルもインターネットだと満室と出ていたけれども、パートナーがそこでフロントに直接聞いてくれたところ、部屋を変えながらだったら週末までは連泊できる、と手配してくれた。
水曜日:この日もホテルから病院にいったけどいついったんだっけな 朝からだった気がする 火曜日にサインとかもらっておいて良かったと思えるほど1日で様子が変わっていた。火曜日は眼鏡もかけていたしテレビは音だけでもということでつけていたけれど、この日はもう眼鏡もかけないでテレビもつけず横たわっていた。ただ、苦しそうだけど意識と頭ははっきりしていたので疲れない程度に会話はできた。今から思うともっと大事なことについて聞いておけばよかったと思うけれど、小さい時あの公園にいったよね、とかどうでもいい話ばっかりしていた。お葬式のことについて本人とも話しておいたほうが良かったのだと思うけど、弱っている本人にその話をするのは憚れてしまった。
木曜日:この日は午後から仕事だったので、朝病院にいってそこから仕事場に行き、仕事場からまたホテルに行くことにした。お昼でパートナーと弟にバトンタッチして、私はお昼を食べる間もなく仕事場へ。電車の遅延でギリギリになったがなんとか仕事をこなした。その帰りの電車で「もういよいよ」という連絡をもらう。私は神奈川から埼玉へ向かう電車の中。検索してもすぐ電車を降りてタクシーでいくよりは電車のほうが早いという情報。病院最寄り駅から病院までは歩いたら10分ほどだけどタクシーで行こうと電車の中でタクシー乗り場を検索して一目散に向かった。タクシーはおらず私の前に一人待っている人もおり、アプリの配車もエリア外。仕方ないので走った。到着すると先にホテルから病院へ行ったパートナーが待っていたが、彼も間に合わなかった。医者の死亡宣告を受けるまでは機械は外さないらしく、心拍0の画面がずっと表示されていた。間に合いはしなかったけど手はまだ温かかった。ただ死に顔が苦しそうだった。
来られる家族が全員揃ったところで医者の死亡宣告。ドラマでよくみるのとは違うんだな、と思った。母はもちろん来られなかった。私が予め調べていた葬儀社に連絡して、病院から葬儀社まで遺体を運んでもらった。その車に同乗して遺体のすぐとなりに座った。緩和ケアとかの話は出ていたけれど、最初のお医者さんの発言通り一週間もたなかった。面会時間が制限されていなかったのはそういうことだと思うので、夜中もいてあげたらよかったのかもしれない。でも病院で対面しているのも正直なところ精神力と体力が奪われたので、そこまですることはできなかった。まあ、本人も疲れてしまうと思うし。
亡くなってからもバタバタだった。母は全然頼りにならないし、況や弟をやだし。冬は人がたくさん死ぬようでお通夜とお葬式は1週間後になった。それにかけるお金でも若干揉めた。安いもので済まそうとする家族と、せめて30年以上家族のために働いた父親をそれなりの形で送りたい私と。たくさんお金は融通したけれども、そもそもおそらくそれなりの会社でそれなりに働いていたおかげ、かつ千葉の家に住むことをあきらめ埼玉に住んでいたおかげで今の自分があることを痛感している。千葉の家はいわゆるド田舎。もちろんどんなところに生まれても成功する人はするのだろうけれども、私にはそんな能力はない。埼玉といっても都会へのアクセスが良いところにいたからリソースがあり、そのおかげで今の仕事をしている。パートナーが「葬式は生きている人のためにするものだ」と言ってくれたので、私が心の整理をするためには私が納得できる形で送りたいなと思った。結局私の希望を通した。お金は出すから文句を言うなというスタイル。
お通夜とお葬式は日程もやることも決まっているのでひとしきり決めるべきことを決めた後はある意味楽だったかもしれない。しかしそんな中でも仕事はあるので、そこの気持ちの整理が大変だった。余命宣告はされていたし、複雑な関係ではあったので正直亡くなっても感情的には大丈夫だろうと思っていたけど、全然そんなことはなかった。本当に情けない父親だよ、とも思うけれど家族の中では一番の理解者だったんだなと亡くなってから意識した。ストレートに言ってしまえば家族の中で一番頭が良かったので話も通じたし、おそらく向こうもそう思っていたんじゃないかなと思う。あと私は色々と父親似でもあるし。大学受験がおわったあとメールしたのも父だった。塾に貼られた「〜大学合格」の紙はもう15年以上経っているのに家の壁に貼ってある。私が「キャンパス変わらない」と伝えたときにはそんなに大学うまくいってないのか、と心配して色々検索したそうである。今思えばわかりやすく色々褒めてくれることはなかったのだけれども、気にしてくれてたんだな、と感じる。私自身を褒めることも特になかったけれども、他の人に自慢するということもなかった。まあ弟が比べられたらかわいそうというのはあったかもしれないけど、親として鼻高々みたいなことをする人ではなかった。それがうちの父親らしいと感じる。
なんかここまでですでに長くなってしまったな。このあとの後始末もめちゃくちゃ大変だったんだけど、まあそれは手続き的なことだし母と弟の悪口という別の話題になってしまうのでわざわざ書かなくてもいいかな。
父の死のあと起こったこと/感じたことをまとめると:
- 思ったより精神的肉体的にダメージが有る
- 自分の周りにいる大事な人にめちゃくちゃ長生きしてほしい
- 死んだ人の分まで生きようという気持ちは全く起こらず死にたいのは変わらないが、死ぬときは遺された人のことも考えないといけないと強く思うようになった
- 本当に今の人生でいいのか、とより強く考えるようになった
色々な意味で;これはずっと思っているけどけんきうとか人に教える仕事をしていて良い人間なのかとより思うようになった
- こういうときに寄り添ってくれる人との人間関係を公私ともに大切にしたい/こういったときに(私の状況を知っていて)心無い言葉を使ってきたりうわべだけで色々言ってくる人とは逆に付き合いたくない
そもそも一応血の繋がった家族が寄り添うというかもたれかかってくる感じだったので。。
パートナーには感謝してもしきれない。迷惑ばっかりかけてしまって申し訳ないけど本当に救われた。めっちゃ長生きしてほしい。150まで生きてほしい。
ついったでいろんな声をかけてくれた友人にも感謝。友人って改めていうとなんか違和感あるが… なんて呼べば良いんだ? 芋サメンバー?
職場でも言葉だけでなく寄り添ってくれた人にはとても感謝している ただ、なんだろう、配慮してほしいとは言わないけども「大変な中…」という言葉を使いながらそうは思ってないでしょという言動をする人もいて、うーん、となった
ただ、人は突然何かがあってパフォーマンスが落ちたり何もできなくなることがあるんだなということも体感したので、仕事が遅れたりしている人にもそういう事情があるのかもしれない、と考えるようにもなった(自分が仕事ができないのを父の死を言い訳にしている気持ちになってしまったが、誰にもこういうことは起こりうるしその状況を周りに知らせない人もいるだろうからとりあえず優しくしようと思った)。
最後「まとめると」って書いたのに結局長い!!まとまってない!!!
ここまで読んだ人はすごいので、お礼になんかします。連絡ください。合言葉は「ポエム読みました」で。
「生きていれば、なんだって出来る」という言葉が最近買ったあざらしの本に書いてありました。私は生きていても「なんだってできる」とは思えないですが、「死んだら何もできない」は間違いなく真だと思います。みなさん生きてくださいね。
ひとだんらく?
5月に36歳になっていましたがブログを書く余裕がありませんでした。今もあるわけじゃないですが酔っ払っているので書いています。前にブログを書いた年度末から良かったことと悪かったことがあり、まあよかったことはどうするか困っていた田舎の家に決着がついたことです。3万円で売れたそうです。3万円。土地と建物合わせて。ただ家の中のものとか全部処理を任せての結果なので、こちらからウン十万払わなくて良かったというのは良かったのではないかと思います。ド田舎の家だし。
まあそれでも今まで「貸していた」お金が戻ってこないのは確定したわけで、期待していたわけではないですがやはりやや凹んでいます。やや凹んでいるので済んでいるのは、前にブログを書いたあとにもうこれじゃあ仕事ができないと思って精神科に飛び込んで眠剤と抗うつ薬をもらったからだと思います。
さらっと書いたけど化学の力ってすごいですね。あと「あなたは薬を飲むレベルです」っていわれたのが自分的には納得できて、それで締め切りを延ばしてもらうことにも成功しました。病気だしということで… 結局薬の力でがーっと仕事を進めることはできてどうにかなりました。というかどうにかなったということに今しています。
今のところ服薬を続けて様子見です。いつ薬なしにできるのかわからないですが、難病と違ってゴールがあるので文句は言えないかなと思います。なんでそれをここに書いておくかというとまあなんかあったときに知っている人がいるといいかなと思ったからです。私は今のところSwitch 2を買えていないこととKHの完結を見られていないこと以外はあまり悔いはないです。よろしくお願いします。
早く夏休みにならないかなあ。。。といっても夏休みもゆっくりできないのですが。とほほ。
このきもちはなんだろう
これタイトルにしたことあるかなとおもったけどないっぽい?とおもったら10年前にしてて大草原(今は非公開になっている部分)
さてまたやってきました年度末。前に書いたのは年末だったようでもうめちゃくちゃな気持ちで書いていた記事が残っていてやばいですね。
3月は本当に心を亡くしていたという意味で忙しかったです。
配偶者が帰ってきたということは書いてましたが、また4月から別居が決まり、国内なんで国外よりまあ1億倍マシなんですがやっぱりこう気持ちはふらつくし引っ越しもあるしでわやわやしていました。あとは実家のこと。ど田舎にある祖母がなくなってから放置されている家を父が亡くなる前にどうにかしないと、となり一度訪問して空き家に入られていたので警察のあれこれに立ち会ったりとか、不動産屋さんにご挨拶したりとか。あ、あとはサボっていた病院に行く類のことをして、視野検査、大腸内視鏡、婦人科検診にいったりしていました。視野検査は「緑内障なりはじめかもしれませんね」で5月に精密検査、大腸はなんだかんだで異常なし、婦人科検診は結果待ちです。もう35歳のアンパンマンは元気100倍じゃあいられないんですね。
父は12月にまあ3年半くらいって余命宣告をされていて、1月に会ったときにすでに私の体重より体重が軽かったんですが、3月中旬に会ったらそこからもさらに痩せていたのがまあショックでした。これは3年なんてレベルじゃなくて1年生きられるのか?と思うレベル。余命はあくまで目安だし、国指定の難病だからまあ治りはしない。むしろ急に悪くなってぽっくりという可能性もあるというやつ。そんな父は3月30日が誕生日なんですが、私は4月1日から職位が変わるのでそれを口実にということで昨日お祝いをしてきました。外食できる体ではないので、お造りを出前して、私が家から釜飯を炊いて持っていって。家にあって飲めていなかった酒を持っていって飲んでもらいました。父は母に禁止されてお酒を飲めていなかったのでそれはそれは嬉しそうでした。父にはお酒を楽しめる肝臓をもらっているのでその点は感謝しています。それで今日、年度末。父は来年生きているのだろうか、そして新年度への不安などがごちゃごちゃしています。その結果のタイトル。
過去の日記を読み返していたら去年の春は調子が悪くなっていたのですがその原因ともちょっと予期せぬエンカウントもありメンタルが本当にダメダメです。職位だけは立派になって、中身が伴っていないのではないか、でもそう思うのは審査してくれた先生方に申し訳ないとも思いつつ。新年度前にもう五月病というかただのうつですね。本当に有難うございました。
ただ、身内がいつ死ぬかわからない状況になると、人に急に死なれたら結構困るんだなと思ったのでいつ死んでも大丈夫な感じに片付けたり色々やっておくまではまあ積極的に死ぬのはやめとこうと思います。そこまで人に迷惑をかけることを全力で避ける、そんな人生。でもそうすると、きっといつまでも死ねないのでしょうね。生きている方が迷惑をかける事になるなということになるまでは、生きることになるのかな。しらんけど。
次の人生はもうちょっと普通の人生がいいな、とこの前小中学校のときの友達二人(それぞれ二人の子持ちになっていた)と会って思いました。来世は何卒そんな感じでよろしくお願いします。
2024
2024年最終日ですね。今年はここ数年で一番年が終わる実感がない気がします。
月ごとに何があったか振り返ってみますかね。。
1月:新年をドイツで迎える 起きたら能登地震、飛行機が炎上、次の日に北九州の火災で驚く
2月:新所沢パルコにさよならを言いに行く ついでに実家に顔だけ出す
3月:北九州へ帰る 本当に色々食べるためだけの旅行 大阪にも行く
ワークショップも主催した あとから「失敗」と繰り返し言われて嫌な気持ちになった もう二度とやらない
4月:新年度がはじまる ちょうどその頃昔のあれこれを思い出すことがあり、病む
5月:35になる このときにはブログ書いてたことを今思い出す
6月:日本酒を飲みに行っていた 桁が間違ってないか!
7月:萩の露蔵元会、パートナーがとりあえず帰ってくる
8月:食中毒?で高熱を出しダウン 某審査の書類を渡航前に急いで準備する
月末にはドイツで引越の手伝い 同時に学会要旨・論文・kknhの書類を書く ここでパートナー本帰国
9月:イタリアの学会へ 行きの飛行機が9時間遅れる イタリアから2025, 2026年の非常勤の面接(オンライン)
10年ぶりのイタリアだったけど、シチリアは水回り事情が驚きだった
10月:白州蒸溜所 論文直し
11月:パイプオルガンコンサート、紋別旅行 父親が難病+余命宣告
12月:上の理由でまだ実家から金の無心をされる(少しお願いと頼まれて25万 15万しか出してないけど)
8月に準備した審査が通って同僚にお祝いしてもらう
Twitterとここはてなブログで懇意にさせていただいたぴょんさんの訃報を知る
アムステルダムにて学会 クリスマスにパートナーのおじが亡くなり法事へ
写真を見ながらじゃないと何があったか思い出せない月もあれば印象的な月もあるなあと改めて。
某顔のSNSにも書きましたが、今年は改めて自分の人生ってなんなんだろうと思う年だった気がします。
まあ自分が好きで色々やっているというところはあるんですが、どこのコミュニティでも
良くも悪くも緩衝材というか、クッションというか、最悪の場合サンドバッグになりやすいんですよね。
仕事が頼みやすい、お金が借りやすい、誰とでも(表面上は)仲良く仕事ができる、頼めばそれなりのことはしてくれる…
それでもって私自身が他の人には色々頼めない、頼れないという性格なので
自分の中にどんどんどんどん溜め込んでいって、普段ならそれでもまあなんとかなっているんですが
今年はなんかちょっと色々無理でした。特に年末の1,2ヶ月は色々ありすぎて。
自分の機嫌は自分で取れるのがいいのには決まってるんですが、自分がなんかやっている分何も返ってこないんだなと思うとなんだか虚しくて。
特に親のことは本当に複雑です。今までのあれこれがなければ、入院したらしたで会いに行っていたと思うんですが
今までも散々お金を頼んできて、そのうえ「少し」で合わせて25万融通してくれと言われ
なんならもうすぐ死ぬからなんていわれて言い逃げじゃないですか
頭を使う仕事なのに、色々考えられないような状態で支障が出ていて仕事が進まないのに、往復3時間とかかけて会いに行って気分悪くして帰ってくるっていうのが嫌で嫌でここ最近は実家に帰っていませんでした 交通費ももったいないし
それが家族としては冷たいのかしらとか思うとまた辛くてっていう繰り返しで今もそうなんですが、なんかもうどうしたらいいんでしょうね。
大して太い実家でもなく(だから賃貸に住み続けてお金がないということらしいんですが)
親戚に学者がいるわけでもなく授業料分は奨学金を借りて留学もいろんなアルバイトを掛け持ちしつつ良い成績をとって交換留学(しか選択肢がない)し、留年しないで卒業して
大学院の留学だって「お金がないんです」っていって奨学金をもらえたからいけたし
頭が悪いけど私なりに頑張って優しい先生たちの指導の元学位も取ってなんとか仕事ももらえて
色々な信頼を得て今があるのに
親には「何かを強制しなかった」ということくらいしか感謝してません。
あるときから私がしたいこと、できることがもう把握できなくなってからは、なるだけ負担をかけないということでやりたいことはやらせてもらえたので。(その分上で書いたようにアルバイトとかしたわけですが)
でも今私が接することがあるような学生の一部がおかれている、授業料も全部出してもらえて、留学も卒業に余分に1年かかっていいからと援助してもらえ、長期留学に行けば日本から援助物資を送ってくれるような、そんな環境だったらもっともっと楽しい人生を送ることができたんじゃないかっていう気もします。
金銭的な援助がなくても、とりあえず精神的にも応援してほしかったし、立派な大学や高校に行ったということではなくて私の努力を評価してくれるような、そんな親だったら良かったのに。子育てや家計の失敗を、子どもに押し付けるような親じゃなければよかったのに。こうした親への憎い気持ちがある以上、もう適齢期過ぎているのもありますが私が子どもがほしいと思うことはないと思います。子どもに絶対「こんな良い環境を与えているのになんで〜ができないの」って思ってしまうだろうし、その良い環境を与えられるとも思えないから。
結局35歳になっても、人から認められてないかばかりが気になって、人に気を使いまくる自己肯定感がマリアナ海溝より低い人間が出来上がってしまいました。全部全部育ってきた環境のせいに出来たら、気持ちが楽なんでしょうけどね。インターネットを見ると、無条件に認めてもらえるような人もいるようで羨ましいです。35になって、自分がそういうふうに思ってもらえるとはもう思えないですね。実際もうそんなことはないし。とすると自分で自分を認めないといけないけど、それもとても難しいです。こんな性格で生きてきたので。
なんかもう途中からずっと泣きながら打ってるので何書いてるかわかんなくなってきましたがこれがここ最近ずっと考えていることですかね。某動画が撮って出しみたいな感じでこれも書いて出しです。もうできるなら仕事だって辞めたいし親兄弟と縁を切ってどこか遠くで暮らしたい。でも休職できるような仕事でもないし休職したら生きていけないし、身体は動くからやっていくしかないんですよね。健康診断では異常なしだし、もういつ死んでもいいのにしばらくはしぶとく生きていくのでしょう。
というと最近亡くなった方たち、病気と戦っている人たちに申し訳なく、本当にあげられるものなら命と健康な体をあげたい。。みんなに愛されている人から亡くなっていくのは、本当に理不尽ですね。
…ということで来年の目標ってなんだろうというとあんまりありません。強いて言うならやっぱり人に迷惑をかけない、でしょうか。これも顔SNSに書いたけど。私が究極に恐れているのは人に嫌われることなんですよね。そして人が離れていくこと。そればかり考えているとしんどい日々が続きますが、たぶん死なないと変わらないので死ぬまではそういう方針で生きていくことになるのではないかと思います。
このブログももう何人が読んでいるのかわかりませんが、みなさまは良いお年をお迎えください。
35
私35歳になりました。ふとこのブログっていつから書いてるん?と見てみたら24のときからそのまま存在しているのか!やばい
そして毎年誕生日に書いていることがだいたい一緒でもっとやばい。成長がない。
近況ですが、メンタルがあまりよくないです。原因はいろいろですが実家のことが割と大きいようなそうでもないような。
2022年の4月から今のところで働いていますが、3月から2ヶ月毎(年金が入らない月)にお金を貸してほしいと頼まれるようになり、1年半で「これが最後」といわれたもののそれが最後にならずその後も数回頼まれています。一回に貸しているのが10-20万なので、額も相当です。配偶者も間に入って話してもらったのにもかかわらず先月も無心があったので、もうそのLINEは完全に無視して今に至っています。家がどうなっているのかはわかりません。
なんというか、親がこういう状態なのってつらいですね。完全に無視するのも良くないとは思うんですが、なんというかもう信頼が0とかマイナスになってしまいコミュニケーションをとりたくありません。誕生日にもおめでとうLINEがきていましたが、既読だけつけて放置してあります。
最近セルフケアとかそういう本を読んで思うんですが、まあこの性格って小さいときからのあれこれで形作られているものなんでしょうね。それが良く転じたこともあるにはありますが、もうずっとずっと生きづらいならもうさっさと人生終わらないかなあと思うのが最近思うことです。15のときに気持ちがどん底ですごく死にたかったんですが、それから20年も生きてしまったのか、とやっぱり出来るところでサクっと死んでおくのが良かったなあということを最近考えています。といっても今死ぬと色々迷惑をかけるので死にませんが、人に迷惑をかけるからと思って死ねないのはとても私らしい思考で、とてもクソだなあと思います。
自分にとって楽しいこととかをしたい、でもそんなことする資格がないと思ってしまうので、一緒にお酒を飲んでくれるとか、話を聞いてくれるとか、そういう人がいるのはとても大事だなと今日人とご飯を食べて思いました。うーん、自分の機嫌は自分でとれるようになるのが一番なんですが。どうしたら自分を好きになれるんでしょうか。
最近はあざらしかその飼育員になりたいなあと考えています。来世でなれたらいいですね。
来世が人間ならまあもう少し生きやすい人生でおねがいしたいと思うので、徳を積めたら積もうと思います。
このブログ、40まで書いてるんだろうか…
3ねんめ
年度が終わりますね。明日から私は今の職場が3年目のようです。
前の記事に書いていたイベントはなんとか終えられました。人間嫌いな私がイベントをするのには向いていないの、なぜ気が付かなかったのでしょうか。。まあでも経験としては有意義でした。またやってほしいという声もありがたいことに頂いていますが私が主催するかはわかりません…
こう区切り目でここを更新しようとして、前に何書いたっけって見て「あんま考えてることかわんねえなあ」と思うまでがワンセットなんですが、今年はもうアラフォーになるのでこれでいいのか人生を考え直したほうがいいのではないかと思います。といってもどないすんねんというかんじでもありますが。
最近変わったことといえば、春休みに食べすぎて太ったということがあるでしょうか。ちょっと危機感を覚えてきたので明日から本気を出したいなあと思っています。思うのは自由です。好きなものを好きなように食べたいなあと思いつつ、でもなんか見た目がみっともないのもいやだなという葛藤をしています。
今年アラフォーらしくて、私40歳まで生きてたくないんですが…でも死にたいと思っているのに痩せたいと思うのは生への執着があるみたいなことをいわれてなんかすごく納得しました。まあでもなんかのアクシデントでぽっくり行ってしまったら私としては全然オーケーだと思っているので後は皆さんよろしくお願いします。生命保険は米ドル建てなんで、今本当に死ぬのに良い時期なんですよねえ(というと怒られるんですが)
最近読んだ本がめちゃ心にしみるやつだったんですが、それでも実行に色々移そうとするのも難しいですね。なんというか自分を他人のように尊重するという事、めちゃくちゃ難しいです。春休みは家族がいっしょにいたんでカップ麺とかほぼ食べなかったんですが一人だと楽だしまあ毎日じゃなきゃいいでしょって食べちゃいますね。野菜ジュースと一緒なら大丈夫でしょうという安心感。外食はなんか自分のためにお金使うっていうのに抵抗があったり。。人とご飯食べたりお酒飲むのは全然いいんですけどね。でも一人でも結構楽しめちゃうので自分の機嫌を取ることをしたい。。でも難しい…(ループ
なんかこんなぽやぽやした人間がのうのうと生きていて仕事をしているのが本当に良いことなのかと今日はある記事を読んで考えていました。私より優れていて素晴らしい人間性をもったひとほど早くいなくなってしまう。あなたが死にたいと願った今日は…とか言う言葉、あまり好きじゃないんですがそういう事を少し考えてしまいました。同じような思いをする人が今後出ませんように。身近で同じことが起こりそうなときは、毅然として止めに入ることのできる強さがほしいです。どうしたら強くなれるのか、考えながら明日からも私は生きていくのだと思います。
またはんとし
俺の夏休み、終わっちゃった
ということで夏休みと言えない夏休みが終わりました。本当にこの夏休み休みがなかった。。いや8月は帰ってきた家族と家族の実家に帰省したり温泉行ったりはしたけれども。
長女の人生はクソゲーという画像を最近Twitterでみて、本当にそうだよなあと実感しています。頼り方がわからない、そもそも大丈夫だと言ってしまう、そこでしばらく色々溜めると一人で爆発して壊れる 笑 最近もダブルブッキングした仕事について うーん、昼休みは絶対とるし、被っている仕事について処理する時間はそんなに必要ないからご飯食べながらやればいいか! と思っていたのですが、「そうするね!」と話したところ仕事が被っているのを知っている同僚から お前は何を言っているんだ お前の分は私がやる 昼休みは、昼休みなんだ 休め 飯を食え 仕事をするな と半ば怒られてしまいました。断ってもいい仕事というか、断らないといけない仕事ってあるんだなあ ということを学びましたがどういうときに断っていいか言ってもらえないと断れなさそうです
今までも何がしたいかってわからない人生を送ってきているんですが、最近それが激しくなっています。リアルなミッドライフクライシスなんでしょうか。そもそもの自分の存在意義がわかってないからまあ仕方ないところもあるなあと思ったりするんですが。うーん。今日もなにか自分がしたいことをしようかなと思ってたんですが、いざ考えるとあまり思いつかないという。ものを読む気力もあまりないし、寝てばかり担ってしまうのも悲しいし。運動をする体力もないし。
これからの方向性、どうしたらいいんでしょうね。自分がやりたいこととは別にレベラップしなさいという圧力もあり、私は別に急ぎたくないんですが業務的にはまあそうしたほうが良いのもわかるといえばわかるんですが。。
それといろんな人間関係の板挟みになっているのもつらいですね。私は割といろいろはっきり言わない方なのでよく言えば誰とでもなんとかなる、悪く言えば八方美人なんですが、私でも「それあなた人の心がないんか。。」みたいに思う言い方をする人と仕事をするのはきっついことがあります(肯定もせず否定もせず、流すようにしていますが)。知り合いには「一度キレてみるといい」ともいわれましたけど、私はしばらくして「あれ怒ってもよかったな!むきー!」となるのでその場で怒れないんですよね。鈍感?
とかなんだかんだ考えていても明日から秋の陣が始まるわけです。3月にはイベントもやることになっていてそれも今から心配の種だったりします。心底この仕事向いてないですね。つらい。と言ってもじゃあ何が向いてるのかって人生向いてないんですけどね。っていうの、一億万回言っている気がする。「何だこの人生」