うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

ふあん

本当は昨日これを書こうとしていたのだった。

新しい年度がはじまりました。大きく変わったことといえばお仕事があること。といっても初めてのセクション(授業とはまた違って演習とかをさせる小さいクラスみたいなものです)は今週末に初めてあります(以降毎週)。もう不安で不安で。だいいちに、わたしはここに来た時の英語のテストの成績ではそのままだと教えられないあれだったので補習みたいな授業を受けてます。それが通ったので教える資格自体はあるんですけどやっぱりそれでも不安で。発音がやっぱりあれなのと、混乱するとsyntaxがめちゃくちゃになっちゃうのです。パニック。1年経ってそれらがましになっているかというとどうなんだろう 1年一緒に会話の練習をしている人からは よくなっているし頑張っているから大丈夫 といってもらっているし、授業の担当者(というか指導教官)からも だいじょうぶ! といわれているのですがやっぱり学部生と対面するまでは怖くて仕方ないです。ちなみに最近留学生の院生の集まりみたいなのがあってそこでちょうどこの学期からTAをはじめたひとに会ったのですが彼女はめちゃくちゃfluentだったのにそれでも文句言われたって言ってて本当に怖くなりました。でも他のひとにそういう話をしたら、ここは南カリフォルニアから来ているひとがおおいし、そういう意味でアメリカ人しかしらない人もおおいからそうなのかも、といわれて、そういうやつらには良い経験になるだろうからあまりきにする必要はない ともいわれました。

まあどちらにしても英語で何か出来るくらいじゃないとお仕事なんて見つからないと思うから慣れて頑張るしかないのです。お給料ももらわないと授業料払えないし…。幸い授業の内容はとっても初歩の初歩だし、やること自体は難しくないと思うのです。(まあわたしがそこでつまずいていたらそれはそれでめちゃくちゃまずいですが)演習もまあこういうことをやればいいのかな?っていうのはわかるし、プリントや板書を多用したら言葉のハードルはなんとかカバーできると思うのですよ。 うーん、でもそれでもとっても不安です。セクション変えたいっていわれないかなとか、インストラクターの先生の方に苦情がいかないかな、とか。

あと今学期は日本語の授業の見学をさせてもらっています。来年度から教えたいので。この金曜に別の先生の授業に行ってその先生と少し話したら がんばってますねえ みたいなことをいわれて。わたしはなんというか頑張っているというか将来のことを考えるとこういう経験もしておかないといけないなあととても思うのでそういうことをしているかんじで、それは頑張っているとは違うというか必死なだけだなあと自分では思っているのですけれど。なんか、がんばるっていうのはすごく綺麗なかんじがするんですよね。わたしはなんというか見苦しくやっているだけで。

まあそんなこんなで今から不安でたまらないです。しかもこれらは本業じゃないので別のところで自分のことはしっかりやらないといけない。そういうバランスがうまくとれるかも心配なところの一つ。本当に胃が痛い。こういうのって人に話してもすごく楽になれるわけじゃないので自分との戦いなところがあるけれどこう胸にしまっておいてもうおおおおとなるので文字化してみたけれどまあそれでもつらいものはつらいよね!!!!!!!!!!!!!!!!!!! はあ。

やるしかないんです。がんばります。

ふぃーりんぐ

別のことでブログを書こうかなあと思ったら今週のお題がお、というのものだったので

今週のお題「結婚を決めた理由」

題名が9割を説明している…


結婚式の二次会でも言ったしここでも書いたような気がするんだけど、この人とずっと一緒にいようかなあと思ったのはやっぱりありのままの私を見てくれてるからかなあ。何かですごいことをしなくても、たとえ良い結果がでなくてもがんばったねと認めてくれるような。95点をとって帰っても なんで100ではないのか といわれてしょげて育ってきた私には、何かすごくできないと褒めてもらえないし見放されるのだという気持ちが強いので。今もそれに苛まれていて、自分で満足できる進捗がないと本当につらいし、それでも先生に「この前よりすごく進歩してるじゃん!!」といわれてもいやあ私を落ち込ませないように頑張って褒めてくれているのだな申し訳ないなつらい というふうにしか思えない 研究に100%の正解は元々ない(のがふつうだとおもう)のだから、そんなのではいつまでたってもつらいだけなのは頭ではわかっているのだけれど。

話はそれたけど、本当にクズのクズでどうしようもないということをいくら見せても離れていかないしむしろそれでも純粋に応援してくれるところが嬉しくて、彼の人生の邪魔にならないなら結婚という形で一緒にいてみたいなあと思ったのが結婚を決めた理由。まあ、結婚をしなくても同棲をするとか、そういう形にすることはいくらでもできたのかもしれないけれどまあ遠距離になるのもあったし、精神衛生上的にそうするとわたしも(そして彼も)安心できるねということで正式に?結婚したのでした。いわゆる普通の(というか世間一般のひとが想像するような、という方がいいかも)結婚の形ではないけれど、まあわたしたちらしくていいなあという感じ。

出会ってからはそれなりにたつけれどお互いのノリが全然変わらないのがいいなあとおもう。なかなか会えないというのも理由にあるのかもしれないけれどでも一緒に暮らしても同じな気がする 笑 お互いのありのままを尊重できて一緒にいて心地いいって最高の環境だと思う。というか何か我慢して自分のQOLが下がるんだったら結婚自体していなかったとおもうけど。

のろけ?でした。今年のクリスマスと年末年始は日本にかえります。たのしみ。帰るの元日だけど…

渡米から1年

こっちにきてまるまる一年が経って1年前に受けたものとまったく同じテストを受けたらほとんど点が変わっていなかったので心底落ち込んだわたしです。(だからあっちのアカウントも消しました なんかもう戻らないかも。)よくよく考えたら1年でそんなばびゅーんと英語ができるようになるかなんてわからないし、テストも電話で受けてコンピュータで5分くらいで結果が出るやつだし、そんなに考え込む必要はないんだよなあと客観的には思うんですがやっぱりつらい。まあでも何が大事かって英語そのものというよりはそれをしっかりつかって仕事ができているかということで。
とりあえず書評を頼まれて書いていたのですがそれが昨日正式に受理されました。一回書き直しを命じられたので半分ぷりぷり半分泣きながら直したのですが直したのはほぼ直しなしでおっけーが出て心底安心しました。先生にはめっちゃ迷惑をかけました。何回も見てくださってありがとうございます。しかも英語がうんこなのに。(ご飯中だったらすみません
あとは指導教官の先生から11月のワークショップで発表しないかとお声がけをいただいたのでネタを練り練りしています。自分的にはいい感じ!と思ってるけどそうでもないのかもしれない(書いてるうちに自信がなくなる)。こっちは修論もどきになるのとは別のものになるのでこれはこれでちまちま進めないといけません。まあでもマルチタスク的なことはたぶん、きっと、どうにかなるとおもいます。

てなかんじで、冷静に振り返ったらなーんにもかわってないことなんてないとおもうのです。そう思いたいだけかもしれないけれど。他の人のにぎやかに楽しげに留学をしている姿を見ると、わたしのにはあまりそういう要素はないのかもしれないと思ってへこみます。友達いないし。でもこう書くとまた語弊があるんだろうな。でもわたしはわたしで、これでもいまこの上なく幸せだなあとおもうので、それはそれでいいのです。なんでそう思うかというと最近修士の時の悪夢を凝縮したような夢を見たりしたからですね。いまが幸せ。へこむところもあるけれどそれはそれで、なんとか前向きにやるしかないです。…と言い聞かせています。今日はあくせぷとのお祝いにお酒を飲みました。また明日から頑張ります。

このきもちはなんだろう

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春ではないけれど.もう思春期とかいう時期ではないけれどずっとこんなかんじかもしれない


自己肯定感が低いというか限りなく0に近いいきにくさはどうにかならないんだろうか.

最近かんがえること

院に入って4年目?になって大学院に入った当時に修士博士課程にいた人が色々な進路をとるのを見て来た.博論を書いて仕事を見つけて活躍している方もいれば,博士課程の途中でやめて違う道に進んでいる人も見る.最近うちの学科でも4年いたけどやっぱり違う,と思ってやめていく人がいる.なんというか日本では割とそういうのがふつうじゃないっていったら言い過ぎだけど(アカデミアの外だと特に),なんというかあれ?と思われるようなことだと思う.でも割とここだとそういう人って結構多い.紆余曲折を経て今に至る,みたいなひと.

私もここにくるまではそこそこ紆余曲折があったわけで,今の人生を10年前の自分が想像してたかっていうとそんなことは全然ない.今の専門に出会ったのもほんと偶然だし,ここまでやろうと思えたのも色々なめぐり合わせがあったから.その前には違うことをやろうとしていたわけだけど(教育行政学),今していることとは微塵も関係ない.

時々考えるのは,大学に入るときに考えていたまま将来の道を選んでいたら今頃働いていただろうし,たぶんそれなりに安定した(大学院生よりは)生活をしていたのではないか,とかいうこと.その道を歩むのをやめたのは,同じような道を志している人たちと一緒に活動していて ああ,こういう人たちと一緒にやるのは無理かも と思ったこと.あとは安定したお仕事につくならこっち,とおもっていたけど本当にそんなんでいいのか,と思ったってこと,そのあたりが原因.

そんなので今やっていることをしていることが,なんというか逃げなのではないかって思うことがある.やりたいことをやれればいいっていう方向に逃げてるというか.んー,でもそうしてなければ今の人と結婚はしていなかったとおもうし,今は幸せだから逃げでもまあいい選択だったのかな,とおもう.

んでもっていまはこの課程を終わらせられるんだろうか,と考えたりする.中途で頓挫することがあるかもしれない.修了しても全然違う職に着くかもしれない.つらくない結果を選んだ結果として.でもそれが幸せなのかもしれないし,逃げない選択のあとに幸せが待っているとは限らないし.周りの人にはああだこうだ思われるかもしれない言われるかもしれない.でもなんというか自分(と配偶者)を守って自分(と配偶者)が生きやすい道を生きていきたい.

とりあえずつらい死にたいから,死ねなくて生きるなら出来る範囲で幸せになりたいというふうに変わったのは成長なのか開き直りなのか.

こどもなおとな

グロ注意というほどではないけれどそんなはなし


引く人は引くと思いながら書いてしまうけれど私には色々と体の一部をいじる癖がある.例えば一つが頭を延々とかきむしることだとか,延々と手櫛をして髪を抜いてしまうとか,手で爪をむしってしまうとか.やめなさいといわれてももう自然にそうしてしまうので夫からはまったく…といわれている.爪なんかはネットで調べるとネイルするといいとか書いてあるけれど,一度結婚式の時にジェルネイルをやってもらうときに爪を伸ばす過程とネイルしてもらって爪がいじれない事実がとってもストレスだったのでいやだ.これでももう物心付いているころからずっとこうなので綺麗にむけるし.でもたまに失敗した時に血が出たりするのもまたそれはそれでいい.

昨日色々見ていたらこういうのをまとめて強迫性皮膚摘み取り症とかいうらしい.皮膚を摘み取るというと響きがすごい.やっぱり精神的な何かから来ているらしいですがかれこれずっとこうなのでそんなんいわれてもなあ,というかんじする.んでもって更に調べてみたらいわゆるアダルトチルドレン的な人にそれが多いとかある.

なんというか何回か病院みたいなものにいったりカウンセリングを受けたりして,結論としては病名がどうつこうが割とどうにもならないという感じなのでどうでもいいといえばいいんだけど,結局うつとかそういうのよりは性格の問題で,どういう問題かというとこれなのかなあと思うことがある.別に家族はアルコール依存とかだったわけではないですが,小さい時は両親の仲は割と悪かったし,弟達は可愛がられて私は別に(と自分では感じていたし今もそう)というのはまあ原因だとおもえばそうなのかもしれない.しかしそれが原因というよりはもう生まれた頃からこうだったのかもしれないけれど.でも喧嘩が始まったら弟達を寝室にそっと誘導したりして,私がどうにかしないといけない,というのはずっと感じていてまあそういうのってよくある特徴らしい.ふうむ

でもなににしろ最近色々と精神が落ち着いてきている気がするから,まあなんでもいいかなあと思ったり思わなかったり.しかしながら何に対しても自信は0だし旦那もいつ殴ってくるかわからないから(絶対殴るとかしないひとだけど最悪のケースを考えておけばなにがあっても焦らないという自衛の方法)こういう気持ちがなかったらもう少し生きやすいのかなあと思ったりする.いわゆる認知の歪み的なものが激しいのだろうけれどそんなものをなおせといわれたっておいそれとはいかない.もう30年くらいたって生きていたら,いろいろとぐにゃぐにゃした歪みはもう少しまっすぐになるだろうか.

そうだったらいいのにな

時々人生の折々でこういう経験をしていたらどうだろうと思うことがある。その中でもよく思うのは楽器やってたらどうだったのかなーとかいうこと。ピアノとかやってみたいなあと思ってたけどうちにあったのは1.5オクターブくらいの小さなピアノのおもちゃくらい。5人家族が州-1の字で寝るくらいの部屋にピアノなんて置けるわけない。でもその小さなピアノのおもちゃでいろんな曲を弾いた記憶がある。一本指だけど。よく覚えてるのは「バラが咲いた」。完全に親の趣味ですね。楽譜なんてなくて音階読みで教わってたので中途半端な音感がついた。

中学の部活ではちょこっと吹奏楽部を考えたのだけれどやめてしまった。仮入部ではフルートを吹かせてもらったはずなんだけど。でも今やりたかったなあと思うのはクラリネット。でも私の性格とかを考えるに吹奏楽部はめちゃくちゃ向いてないと思う。ちなみに実際にいたのは軽音楽部。という名の半分リコーダー部半分おしゃべり部。でも時々金髪の怖い先輩が覗きにきて「ギター弾けよ」とかいわれたことがあったなあ。あ、でも一度だけパーカスの助っ人で吹奏楽部にいたことがあった。あれはつらかった。

なんだかんだで楽器はやらないまま高校は合唱部にはいった。歌はうまいわけではないのに。合唱を始めた動機は不純極まりなくて、うちの小学校は3年生で地域の音楽会で合唱をすることになってるんだけどそのタイミングで祖母が亡くなったので出られなかった、というもの。どうしても合唱がしたかったので地域の児童館の合唱団にはいった。小6まで。そこは綺麗に歌うーとかいうかんじのところではなかったけど、まあたのしかったなあ。高校に入ってやっと合唱部に入れたわけだけれど、そんなこんなでガチでやってきたひとではなかったので最初はつらかった。

あ、でなにをいいたかったかというとなんというかガチで音楽っていう感じのことをしてこなかったな、とおもうのです。いやもちろん高校の合唱は割と頑張っていたけれど頑張ってあのレベルだったし。他の子達はレベルも高くていつも申し訳ないなあと思っていた。なんかもう少し小さい時から何かやってたらよかったのかなあ、とか時々合唱曲や吹奏楽曲を聞くと思う。 そうだったらいいのにな。


このそうだったらいいのにな、がそれだけで終わればいいのだけどもし自分が子供を持ったとしたらこういう思いはさせたくないと思ってしまうのが闇。というか自分の子供かどうか関係なくいろんな人がなるべく そうだったらいいのにな をたくさん抱えて生きることがなければいいのにな、みたいなあほみたいなことを時々考えている