うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

低まりすぎた自己肯定感

前にtwitterで見かけたからかなんだか忘れましたが,どこかで読みたいなと思っていた本,休みになったしkindleで気楽に買えたので読んでみました.

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一言で言えば私はとても気に入りました.なんというか,「そうなのよそれそれ!」と思えることが多くて.大学で何度かカウンセリングみたいなものを受けたことがありますけれど,「なんで君はこの大学にまで来てそんなに自己評価が低いのかなあ?普通の人だったら人生ウハウハだっておもうくらいなんじゃないの」みたいなことを言われて「だってそう思えないんだからここに来てるんだろうが知らんがな」みたいな流れになって結局その人達としゃべるのをやめてしまったのです.

自分のいいところを探しましょう みたいなのはいやいや,とりあえずなにか決めたところで結局それが長続きしないというかそれもたいしたことないからダメだ,っておもっちゃうから駄目なんだよってずっと思っていたんですが,この本の基本的なスタンスは「相手を肯定していくプロセスで自分も肯定できるようになる」ということ.

自己肯定感,自分で言うのもなんですがここ何年かで少しずつあがってきている気がしていて,んー,なんでかな,おとなになったからかな?とか思ってたんですけど,たぶん自分をありのままに受け止めてくれる人が身近にいるようになったからなんじゃないかな,と思いました.例えばというか一番は配偶者ですけれど.

あとアメリカに来てからは,ここでは私はだめだめな学生なんだ,と開き直って不安なことわからないことはすぐ先生に相談するようになって,「みんなそうだよ」「不安になるのは当然のプロセスだよ」というかんじでそういったものを受け止めてもらえることが多くなったのも,「あ,これでいいんだな」と安心できる要因になっているんじゃないかと思います.

全体を通じて読んでいてここちよかったのは,筆者が「決め付け」をしていないこと.最初に書いたみたいに「あなたはここまでの学歴を持っているんだから恵まれているのに,なんでつらいの?」とかまず決められて聞かれちゃうともう何も言えなくなってしまう.でも本の全体を通じて筆者は「人それぞれにつらい理由はあるよね」っていうふんわりとしたスタンスで語ってくれています.それがものすごく心地よくて,さらさらと読んでしまいました.

こういった人にもう少し早く出会えていたら,とおもわなくもないですが,まあまだ人生は長い?はずなのでこれから少しでもよく生きられるといいなと思いました.自己肯定感が低い人にはそれこそ色々な理由があると思いますが,どんな理由の人でもすんなり入ってくる本だと思うので,とてもおすすめです.というか気に入りすぎて記事を書きました.つらくなったら読みなおそうと思います.

2年目おしまい

アメリカでの2年目がおわりました.なんというかクオーター制って本当に終わりの方は誰もかれもが精神的に肉体的に息切れしていて,夏休みに入るというのがもう本当に涙がでるくらい嬉しいっていうかんじがあります.いや,みんながみんなどうかわからないけれど私は少なくとも うおおおお ってかんじでした.このクオーターはTAこそなかったけれどそれでも疲弊してしまったのは,やっぱりもう息切れ感があったからかなあと思っています.もちろん夏休みに入ったからといってなにもしないわけにもいかないんですが,なんかそれでも 終わったぜええええ っていうかんじはあるのです.

去年は終わって即一時帰国したんですが,ことしは7月に東海岸の方でのサマースクールに出る予定があるので(旦那と一緒に)一ヶ月はここにいて,サマースクールから直接日本に帰ります.というわけでちょっとした宙ぶらりんな時間があるわけです.まあ,宙ぶらりんしている余裕はないはずで,駄目元でとりあえずだしたら通ってしまってちょっとプレッシャーがすごい8月の日本での発表の準備もしないといけないし,次のペーパーのネタをもう少し頑張ってまとめないといけないし(発表のとは別),で秋に備えないといけません.あまり人も見ていないここでひとまずの目標をば…

・口頭試問通したペーパーのネタをどこかに出せるようにする
・7月末締め切りの学会発表申し込み,ちゃんとなにか書いて出す
・8月の発表がんばる
・秋までに書けるところまでいろいろかく
・秋から教えることの勉強もする

こんなかんじでしょうかね.お仕事?的には

ほかはやっぱり旦那と一緒に過ごせるっていうだいじな時間なのでそれを大事にしたいなあと思っています.とりあえずただの楽しい旅行をしよう!といっていて(学会とかサマースクールではなくてw),8月の終わり,私がアメリカに戻る一週間前に二人で熊本にいくことにしました.被災地復興支援という名の下においしいものをたくさんたべたいです 笑 ほかにも,今度は結構長くいられるので浴衣を着て花火を見にいきたいなあとか,移転する前の築地にいきたいとか,板橋の二人で行ったことある店を再訪したいとか,うどんがたべたいとかいろいろしたいことがあります(いうてほとんど食べ物だ).でもなんというか一緒に美味しいものを食べて美味しいねっていって幸せになるってすごいいいことだとおもうんですよね.私はひとりごはんも大好きですけど,気心しれた人とのんびりご飯を食べて楽しく過ごすのはまた別腹です.

日本に一時帰国している時には3kgくらいは太ってもいいかなーと思っていますが,今年の頭(1/1)からなんとか6kg痩せたのであんまりどかーんと太らないようにもしたいなあとおもっています.でも私の周りの人ってよくわからないけれど私がまるまるしていると喜ぶんですよね.エンタメ性が高いらしいです.エンタメ性ってなんなんだ.そんな彼らの目論見のとおりにいきたくない,という意地も密かな(全然密かにやってないんですけど)ダイエットのモチベーションのひとつです.

なんかこうもう少し日常的な日記を付けたいんだけどいつもまとめ記事みたいになってしまうのがあれですね.もう少しマメに作業記録をあっぷするとか,そういうことができる人生でありたかったなあと思います.まあ肩肘張ってもしかたがないですから,ぼちぼちやります

あと半分

このクオーターも半分終わりました.あと5週間….
ちなみに口頭試問は5/10になりました.defenseというよりconversationだよ,といわれているものの,出したあとはもうペーパーに見向きもしていないのでちゃんと読み直さないといけません.うう,憂鬱です

なんという過去のクオーターは体調的にも精神的にもslowです.思えば毎年こうな気がするんですが,4-5月って大体憂鬱になってるんですよね.5月病っていうのもあるのかもしれないけれど,誕生日が5月なのでなんだか生まれてきてしまったことを悔いる時期なのかもしれません.そんなこんなでもうすぐ誕生日です.自分にはバックパックを買いました.実用的.早く届かないかな.

あと地味にやっているダイエットなんですが4ヶ月で5.3kg痩せました.(1月1日から) まだまだデブですがまあぼちぼちやっていきたいです.

冬クオーターおしまい

もはやクオーターに1度の更新になりつつあるこの日記…

冬クオーターがおわりました.いつもそうだけど今回も何かと忙しかった.まずはきゅーぴー(くおりふぁいんぐぺーぱー)をほぼ完成させることと,あとはTAともう一つの授業がわちゃわちゃとしていて.学期中に日本に学会発表しにいったりもしたし.きゅーぴーのほうはどうにか良い感じで形になっていると思います.ここではこの最初のきゅーぴーが修論みたいなもので,私は修論を日本で一度書いているはずなわけですが,その修論よりはずっと出来が良いと自分でも思えるものがかけました.まあ,日本に居た時より何百倍も集中できる環境にいるわけなので,そのくらいのものじゃないとだめですよね.まあそれもそれでプレッシャーでは有りましたが良いものにできたということ自体は良いことだと思います.

TAは自分の専門分野の授業でした.自分がすごいと思う先生が自分の専門分野を教える授業でTAをするっていうのはものすごく光栄なことです.あとは学部生がどれだけのことをこの1クオーターで教えこまされるのかということについて割と驚きました.まあ日本がぬるくてアメリカが大変というのは行き過ぎた一般化だとは思いますが,ある言語学のこの分野について1クオーターでこれだけ学べる!という環境が揃っている彼らはとても幸運だと思います.そして,それについてきてくれた彼らはもっと自分を誇るべきだとも思います.

あ,でも開いた口がふさがらないこともありました.一人「他の言語学の授業をとっていて,そちらが大変でこの授業に力を入れられなかった」といってきて,聞いてみたらその授業では良い成績をとっているとのことで,その授業は厳しいことでは有名なので先生含め私たちは寛大な処置をとろうか,という話になりそうだった子がおりました.でも最後に彼が言ったことは大嘘だったということがわかりました.なんてこったい…
先学期も似たようなことがありました.私は人が疑えないタイプの人間なので あらあら と思って助けようとしたら結局大嘘,ということがあるのは悲しいです.ただ人を疑うのはあまり気持ちの良いものではないのも確かなので,難しいところです.

春休みはあっという間に終わって,すぐ春クオーターがはじまります.来クオーターはTAがないですが,それはそれで忙しい物になるでしょう.とりあえずは早く最初のきゅーぴーの口頭試問を突破したいところですね.がんばります.

コミュニティの一員になること

この週末は合格をもらった学生を招いての発表会がありました.そのことについてつらつら.

私がprospieとして来た時,今通っているところに決めようとしたいくつかの決め手のうちの一つが,この発表会でした.2年目と3年目の学生が発表するんですが,みんななんかすごくて(ボキャ貧)私も2年経ったら,ああなれるのかなあと思ったのです.

昨日のopening remarkで先生が この発表をきちんとこなすことがこの学科のコミュニティの一員になること みたいなことをいったので,余計に緊張しました.脇にそれますが,高校の時は林間学校で山にちゃんと登ることが一員になる条件みたいなことを言われて,私は全部登れなかったので,ずっと「私はちゃんとした一員じゃないな」という劣等感を持っていたこともあって だいじょうぶかなあと 心配していたのです.

この本番までにリサーチセミナーで複数回練習をしているのですがまあそこでの評判が悪くなかったといっても,当日ははじめて内容を聞く人もいるのですから,油断もあったものじゃないです.まあでも,不思議と本番は早口になりつつも落ち着いていて,質問もわかるものは適切に答えて,わからないものはその旨をいってさばくことができました.

終わった後ペーパーのチェアともう一人のcommitteeの先生とアドバイザーの二人が文字通り飛んできて 良かった!!!! ってめちゃくちゃほめてくれました.他の先生方からもお褒めの言葉をたくさんいただけてほんのちょっと泣きそうになりました.まあというのはやっぱりどうしても他の人達よりできが悪いだろうなと思っていたしこう積極的にビシバシいくのが苦手なのでその意味でも「こいつだいじょうぶかな」と思われているのじゃないかなと思っていたからです.ちゃんと認めてもらえた気がして,うきうきでした.

そのうきうきもあったからか,その後も楽しく過ごせて,他の人とも普段よりおしゃべりができて,楽しい週末でした.そして,改めてここにきてよかったなあと小学生並みですが思いました.疲れてヘトヘトだったけど,しあわせなきもちで眠ることができました.

あと1週間授業があって,短い春休みです.私のことだから,きっとすぐにまた自信は飛んでいってうじうじしだすと思うけれど,レセプションから帰るときにも your talk was great!! ってがっちり握手して帰ってくれた先生の言葉と笑顔とか,そういうことを思い出しながら,またぼちぼちがんばろうと思います.

つらい

つらいことをかいてもつらいだけだけど書いておく

車をぶつけました.ダメージを受けたのは私のメンタルと私の車だけです.とりあえず走ります.
お金もないし保険料上げたくないしすごく困るまではそのままでいきます.つらい.


春休みまで怒涛の毎日なのにここでめちゃくちゃずーんとなるのはつらい

アクセントとトラウマ

先学期したTAの評価がかえってきました.総じてとても高評価でとてもびっくりしました.だって毎回のセクションそんなに手応えなかったですもの….knowledgable, patient, approachableなどといったとりあえず目指していた雰囲気が彼や彼女たちにも伝わったみたいで良かったです.
大きなクラスだったので私のevaluationは100枚ちょっとあったのですが,その中で一人だけ strong accentがあった って書いてきた子がいました.まあとても正直で良いことだと思いますが,やはりキズつかないといったら嘘になります.なんとなくその後人としゃべるときに身構えてしまいました.ここにきて1年と1クオーター,少しずつしゃべれることが増えてきたと感じる日もあれば今日もやっぱり全然しゃべれなかったと思う日もあります.でもそこでわかってもらえるのは私のひどい英語をpatientに聞いてくれる人がいるからで,彼らには感謝するばかりです.私も一応は色々と努力しているつもりだけれど,そんな一朝一夕でどうになかるものでもありません.
このクオーターでTAをしている授業の先生が最初に 女性でかつノンネイティブだと強くあたってくる学生にあたることがあるから,それは気にしないこと.decisiveにきぱっとはねのけるのよ って言ってくださって,そのときに 今でもevaluationにアクセントのことを書かれることがある といっていました.もう何十年もアメリカにいる先生でそれなのだから,私もある程度のところで気にしないようにしないといけないんだと思います.
今日そんな話をconversationのパートナーとしたら,彼女も気にしないでいいといってくれ,かつ「1年以上あなたをみていて,努力していて英語が良くなってるのはよくわかってる.TAなんてすごく大変だったろうに,それでそんなにたくさんの学生から良い評価をもらえたなんて,もっと自信を持っていいのよ」っていってくれました.

そんなことがあっておもいだしたのは,とある人が ある大学ではノンネイティブが日本語を教えているけれど,その発音で教えるの?って人がいる って言っていたことで.確かにネイティブからその言語をおそわれることはいわゆる自然で正しい発音をおそわれるということでとてもプラスかもしれないけれど,でもなあ,っておもいました.そのノンネイティブの人たちだって,きっと必死の思いでやっているのです.その人も今語学を教えている一員なのに,そういうことをかんがえているのは悲しいなあと思いました.私は英語ネイティブの先生に発音というかオーラルコミュニケーションがTOEICスコアに比べてできないんだね,君は頭はいいかもしれないけど云々 みたいなことをいわれてそれがものすごくトラウマなので,そういう語学教員には絶対なりたくないのです.口語メインで習っている人は細かいところが危ういし,文法メインでやっている人はコミュニケーションが大変かもしれない.そういうところを上手く埋めていくのが教員の役目なんじゃないかなあと私は思うんですけど.


発音の仕方で理解がしづらいところがあるかもしれない,というのは自覚していたのでプリントと板書を多様した授業にしたんですけど,それがちゃんと伝わったみたいでそこは本当に良かった.人数と労働時間の関係で隔週しかセクションができなかったけれど「毎週やって欲しかった」っていうコメントがたくさんあって嬉しかった.なんかそういういいところはしっかり胸に刻んで生きていきたいです.というかみんなそんなにいいこと書いてくれるならセクションでもっとデレてほしかったw ほっこりしたコメントは朝8時のセクションについて It was very early, but she was very awake. ってかいてあったことです 笑

来年度から日本語を教えるポジションにまた再チャレンジで応募しました.今度は通してくれるといいです.昨年度はアメリカでの教育経験がないからと落とされてしまったので.


このクオーターもたくさんのことが同時に動いていて,わくわくすると同時に生き残れるか不安です.とりあえずはちょうど1ヶ月後の日本行きを楽しみに,そして発表を成功させられるように,がんばっていきたいです.