うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

最近かんがえること

院に入って4年目?になって大学院に入った当時に修士博士課程にいた人が色々な進路をとるのを見て来た.博論を書いて仕事を見つけて活躍している方もいれば,博士課程の途中でやめて違う道に進んでいる人も見る.最近うちの学科でも4年いたけどやっぱり違う,と思ってやめていく人がいる.なんというか日本では割とそういうのがふつうじゃないっていったら言い過ぎだけど(アカデミアの外だと特に),なんというかあれ?と思われるようなことだと思う.でも割とここだとそういう人って結構多い.紆余曲折を経て今に至る,みたいなひと.

私もここにくるまではそこそこ紆余曲折があったわけで,今の人生を10年前の自分が想像してたかっていうとそんなことは全然ない.今の専門に出会ったのもほんと偶然だし,ここまでやろうと思えたのも色々なめぐり合わせがあったから.その前には違うことをやろうとしていたわけだけど(教育行政学),今していることとは微塵も関係ない.

時々考えるのは,大学に入るときに考えていたまま将来の道を選んでいたら今頃働いていただろうし,たぶんそれなりに安定した(大学院生よりは)生活をしていたのではないか,とかいうこと.その道を歩むのをやめたのは,同じような道を志している人たちと一緒に活動していて ああ,こういう人たちと一緒にやるのは無理かも と思ったこと.あとは安定したお仕事につくならこっち,とおもっていたけど本当にそんなんでいいのか,と思ったってこと,そのあたりが原因.

そんなので今やっていることをしていることが,なんというか逃げなのではないかって思うことがある.やりたいことをやれればいいっていう方向に逃げてるというか.んー,でもそうしてなければ今の人と結婚はしていなかったとおもうし,今は幸せだから逃げでもまあいい選択だったのかな,とおもう.

んでもっていまはこの課程を終わらせられるんだろうか,と考えたりする.中途で頓挫することがあるかもしれない.修了しても全然違う職に着くかもしれない.つらくない結果を選んだ結果として.でもそれが幸せなのかもしれないし,逃げない選択のあとに幸せが待っているとは限らないし.周りの人にはああだこうだ思われるかもしれない言われるかもしれない.でもなんというか自分(と配偶者)を守って自分(と配偶者)が生きやすい道を生きていきたい.

とりあえずつらい死にたいから,死ねなくて生きるなら出来る範囲で幸せになりたいというふうに変わったのは成長なのか開き直りなのか.

こどもなおとな

グロ注意というほどではないけれどそんなはなし


引く人は引くと思いながら書いてしまうけれど私には色々と体の一部をいじる癖がある.例えば一つが頭を延々とかきむしることだとか,延々と手櫛をして髪を抜いてしまうとか,手で爪をむしってしまうとか.やめなさいといわれてももう自然にそうしてしまうので夫からはまったく…といわれている.爪なんかはネットで調べるとネイルするといいとか書いてあるけれど,一度結婚式の時にジェルネイルをやってもらうときに爪を伸ばす過程とネイルしてもらって爪がいじれない事実がとってもストレスだったのでいやだ.これでももう物心付いているころからずっとこうなので綺麗にむけるし.でもたまに失敗した時に血が出たりするのもまたそれはそれでいい.

昨日色々見ていたらこういうのをまとめて強迫性皮膚摘み取り症とかいうらしい.皮膚を摘み取るというと響きがすごい.やっぱり精神的な何かから来ているらしいですがかれこれずっとこうなのでそんなんいわれてもなあ,というかんじする.んでもって更に調べてみたらいわゆるアダルトチルドレン的な人にそれが多いとかある.

なんというか何回か病院みたいなものにいったりカウンセリングを受けたりして,結論としては病名がどうつこうが割とどうにもならないという感じなのでどうでもいいといえばいいんだけど,結局うつとかそういうのよりは性格の問題で,どういう問題かというとこれなのかなあと思うことがある.別に家族はアルコール依存とかだったわけではないですが,小さい時は両親の仲は割と悪かったし,弟達は可愛がられて私は別に(と自分では感じていたし今もそう)というのはまあ原因だとおもえばそうなのかもしれない.しかしそれが原因というよりはもう生まれた頃からこうだったのかもしれないけれど.でも喧嘩が始まったら弟達を寝室にそっと誘導したりして,私がどうにかしないといけない,というのはずっと感じていてまあそういうのってよくある特徴らしい.ふうむ

でもなににしろ最近色々と精神が落ち着いてきている気がするから,まあなんでもいいかなあと思ったり思わなかったり.しかしながら何に対しても自信は0だし旦那もいつ殴ってくるかわからないから(絶対殴るとかしないひとだけど最悪のケースを考えておけばなにがあっても焦らないという自衛の方法)こういう気持ちがなかったらもう少し生きやすいのかなあと思ったりする.いわゆる認知の歪み的なものが激しいのだろうけれどそんなものをなおせといわれたっておいそれとはいかない.もう30年くらいたって生きていたら,いろいろとぐにゃぐにゃした歪みはもう少しまっすぐになるだろうか.

そうだったらいいのにな

時々人生の折々でこういう経験をしていたらどうだろうと思うことがある。その中でもよく思うのは楽器やってたらどうだったのかなーとかいうこと。ピアノとかやってみたいなあと思ってたけどうちにあったのは1.5オクターブくらいの小さなピアノのおもちゃくらい。5人家族が州-1の字で寝るくらいの部屋にピアノなんて置けるわけない。でもその小さなピアノのおもちゃでいろんな曲を弾いた記憶がある。一本指だけど。よく覚えてるのは「バラが咲いた」。完全に親の趣味ですね。楽譜なんてなくて音階読みで教わってたので中途半端な音感がついた。

中学の部活ではちょこっと吹奏楽部を考えたのだけれどやめてしまった。仮入部ではフルートを吹かせてもらったはずなんだけど。でも今やりたかったなあと思うのはクラリネット。でも私の性格とかを考えるに吹奏楽部はめちゃくちゃ向いてないと思う。ちなみに実際にいたのは軽音楽部。という名の半分リコーダー部半分おしゃべり部。でも時々金髪の怖い先輩が覗きにきて「ギター弾けよ」とかいわれたことがあったなあ。あ、でも一度だけパーカスの助っ人で吹奏楽部にいたことがあった。あれはつらかった。

なんだかんだで楽器はやらないまま高校は合唱部にはいった。歌はうまいわけではないのに。合唱を始めた動機は不純極まりなくて、うちの小学校は3年生で地域の音楽会で合唱をすることになってるんだけどそのタイミングで祖母が亡くなったので出られなかった、というもの。どうしても合唱がしたかったので地域の児童館の合唱団にはいった。小6まで。そこは綺麗に歌うーとかいうかんじのところではなかったけど、まあたのしかったなあ。高校に入ってやっと合唱部に入れたわけだけれど、そんなこんなでガチでやってきたひとではなかったので最初はつらかった。

あ、でなにをいいたかったかというとなんというかガチで音楽っていう感じのことをしてこなかったな、とおもうのです。いやもちろん高校の合唱は割と頑張っていたけれど頑張ってあのレベルだったし。他の子達はレベルも高くていつも申し訳ないなあと思っていた。なんかもう少し小さい時から何かやってたらよかったのかなあ、とか時々合唱曲や吹奏楽曲を聞くと思う。 そうだったらいいのにな。


このそうだったらいいのにな、がそれだけで終わればいいのだけどもし自分が子供を持ったとしたらこういう思いはさせたくないと思ってしまうのが闇。というか自分の子供かどうか関係なくいろんな人がなるべく そうだったらいいのにな をたくさん抱えて生きることがなければいいのにな、みたいなあほみたいなことを時々考えている

一時帰国

一時帰国が終わってアメリカに戻っています(今これは退屈な機内の中で書いています どこかについたらアップロードする予定)。

本来は3週間の予定だったのですが4週間に。ビザ発給の問題の都合で変更を余儀なくされたのでした。まあコストとしては変更手数料の300ドルで済んだので不幸中の幸いといったところでしょうか。全部おじゃんになってしまったらそれはそれは悲しいですものね。あとは旦那も喜んだし、確かに3週間で帰ろうとしていたらかなり慌ただしかったので1週間延びてくれてよかったのかもしれません。

でもやっぱり帰るとだらだらします。うーん、でもだらだらするというよりはある意味人間になります。なぜなら一人で生きているわけではなくなるからです。一緒に寝起きをする人がいるのでその人のことも考えて寝起きしなければいけないし。私の場合は一人だといろいろなことをかえりみない生活をしがちなので、そちらの方が自分の健康にはいいのだと思います。実際、一時帰国中はとってもよく寝ました。でも研究的なものがあまりできなかったという焦りがあります。うーん、といっても全然何もしなかったわけではなく、ついた週はきちんと学期末レポートを書いたし、その次の週は学会だったのでその準備に忙しかったし、そのあともやらないといけない書籍紹介のための本を読んだりしていました。という意味では何もやらなかったわけではないし、友達や知り合いや家族との時間はとても貴重なものだったのですが怠けてしまった気がしてならないのです。もう少し、気楽にいろいろと考えられたらいいのですけれど。なんというか今まで休みという休みもなかったわけなので、夏くらい少しは羽を伸ばしても的な。

しかしながら焦りがあったので私はパスポートが予定の旅程に間に合わないかもしれないときにギリギリまで待つことを選びました。もう最低出国の朝一番に取りに行くよとまで言うくらい。一方旦那は思わぬ私の滞在延長に小躍り。その温度差で彼は一度「俺がどれだけ我慢してると思うんだ」とぽろっといいました。

うちの母は電話で何度か「夫くんは普段我慢しているのだからできるだけいろいろしてあげなさい」みたいなことをいいました。でも私としては短い期間に会いたい人もいっぱいいるし、会いたいといってくれるひともいっぱいいるし、夫と同じくらいそうした人たちも大切にしたかったのでいろいろなひとに会っていました。そういうのも多分夫は我慢していたのだと思いますが、そうはいっても私も私で希望があるので難しいところです。

すごく淡々と書いてますが私は彼の一言で自分が思っているよりは彼がつらいのだということがようやくわかりました。それでもなんというか言い訳がましくもわかってほしいのは、私が研究を進めたいのは自分のためのというのももちろんありますがお互いの将来のためでもあります。できの悪い私がちゃんと5年で博士号を取って帰ってくるのには、そこまで休んでいる時間はないと自分では思っているのです。ただ、ロスタイムができたと言っても一週間なので、とりあえずそこは楽しもうかな、と思ってそのように過ごしました。

この一週間、ボーナスでもらえてよかったとも思うし、なければよかったというところもあります。あってよかったのは、やっぱり余裕を持って準備ができたし(パスポートがどうなるかわからない状態は私の豆腐メンタルにはすごく負担だったのです)。実は帰る日に岐阜から義母が東京に来ることになっていたんですが、それもキャンセルが今更できないということで普通に東京に来ていただいて一緒に食事をするという流れにしました。それも楽しんでいただけたようで、迷惑をおかけしたと思いつつもなんというか終わりよければすべてよしみたいになったのかな、と勝手に思っています。夫の祖父のゆかりのお店も一度行けなかったので来年、なんていっていましたが一緒に行くことができました。週末は学会やなんだで忙しかったんですが、何もしないでゴロゴロして、夜にはピザを頼んで酒を飲んじゃうなんていう日曜日も過ごせました。

まあいいことづくしなわけですが、悪かったことは別れがよりつらくなったことですね。忙しいままバタバタと帰っていけばよかったんだとおもうんですが、下手にゆっくりと過ごす時間ができてしまったのでつらくなってしまいました。

次の帰国は長くしようかなーとおもっていたんですが、それもそれで問題ですね。

と湿っぽく終えましたが実は旦那とは8月にスペインで再会します。夏期講座と学会があってお互いの分野が共通するところなので二人で合わせて行くことにしたのです。そうすると滞在費も浮きますしね。ちょっとした新婚旅行気分ですが、きっとそんなこといってられないんだろうなあと思います 笑 

またその次は年末年始かなあ。その次は春休みに会いたいと言っています。私としては半年とか9ヶ月ってあっという間な感じがあるんですが、彼にとってはそうではないらしく抗議されています 笑 会えることは嬉しいけれど、金銭的時間的身体的に負担になるのはお互い良くないのでなんとなくお互いにどんな感じがいいのかつかめればいいんですけれどね。しかしやっぱりアメリカと日本は近いようで遠いなあと実感中です。これからどうやって一緒に住む方向へ持っていくのかも、ぼんやり考えながら研究を進めないといけないですね。難しいなあ。

夢見たものは


夢見たものは・・・&鴎_木下牧子_混声byMeltingpot - YouTube

結婚式から1年たったようです
(アメリカにいると日本がGWなのもあんまり感じられないのであやうく失念するところでした…)

朝キャンパスを歩くときにこの合唱曲2曲の組み合わせをよく聞きます これらは結婚式の2次会で私も一緒に友達と歌った曲なんですが,鴎も飛び交う海が見える大学に通い,夢見たもの:幸福=自分のやりたい学問ができること 願ったもの:愛=それを遠くで応援してくれる伴侶 が今まさにここにあるんだなあといつもしみじみします.

好きに生きる私を心配しつつ応援してくれる彼には頭があがりませんね.まだまだ先の話ですがいち早く一緒にいられる環境を作れるような状況を作りたいなあと最近考えています.

あと1ヶ月ちょっとで一時帰国できます 楽しみだけど学会の準備が…orz

3分の1

クオーターが10週間1単位で,3週間おわったのでだいたい3分の1終わりました.毎度のことながら自転車操業.特に今学期(学期って書くたびになんとなくセメスターっぽい気がしてしまうけれど別に学期はいくつあっても学期ですよね.小中学校は3学期あったわけだし)は自分で自分に負荷をがしがしかけているので結構体力的にもつらいです.

授業は4つ,聴講しているゼミが1つ,あとは隔週でしんたくすの先生と文献を読むミーティングをしてもらうという感じで過ごしています.とっている授業の中に,第二言語習得の授業があって,その授業を受けているといかに自分が色々と間違ったことを考えながら語学を教えていたかを痛感させられるのと同時に,自分が語学の面で抱えているもやもやがふつうのことだとわかって,安心したりしています.

Second Language Acquisition Myths: Applying Second Language Research to Classroom Teaching

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読んでいるのはこれ.一般向けにわかりやすく書かれているので興味のある方はぜひ.

この授業,将来日本語を教えられるようにとっています.日本語で思い出したけどある本の文献紹介(某雑誌に載る)を頼まれているのでそれも読まないと… 納期は8月とまだ先だけれど,なんやかんやしている間にすぐ来そうだし,先生にも見てもらいたいからとりあえず早く読まなくてはならない.

さらに思い出したのですが,日本での学会に出した要旨が通ったので帰国時に学会発表します.真面目か,ってかんじですね.日本語でも英語でもいいんですが,英語のほうが要旨とかをこちらの先生にみてもらいやすいし日本語で何かを書くのが億劫だったので(結局ルー語みたいになるのですよ)英語です.日本人の前で英語をしゃべることにめちゃくちゃな抵抗があるのでそこが問題なんですが,まあ開き直ってやりたいところです.

なんか書いてないことを色々と思い出したのでもうひとつ書いておくと指導教官を決めました.二人でやってもらうというのがOKらしいので二人に同時にやっていただくことになりました.このお二人,私がある授業でタイトルだけ見て おもろそう! って選んだら長い上にめちゃくちゃ難しくて苦労しながら発表した論文の著者なんです.あの時はこの二人に指導してもらうなんてことを考えたことはありませんでしたが,縁ってあるのかもしれません.(実際志望理由書にもこの論文のことを書いて,その後のインタビューでも話に出したら喜んでもらえたのです) 二人共ほんとに超がつくほどすごい方たちなのに,超超超いい人達です(人間として).というかここの人たちは基本的にすごいいい人たちなのですが.

あとはこの流れで書いておくと,イタリア語についてうだうだやっていたのですがとりあえず少し離れることにしました.にほんごに興味が移ってきたのと,やっぱり直感が働くっていうのは大きいんですよね… すぐに何か聞ける環境でもないので.自分のなかでもやもやしていたことだったんですが,今の研究トピックを自分でもすごく面白いし楽しいと思えているので,別に後悔はないかな,というかんじです.もちろん勉強し直さないといけないことは増えましたが,もともと勉強し直さないといけないことばかりなので,あまり変わらない気もします.

8月にあるスペインでの学生セッションの結果はまだきませんが,とりあえずは日本での学会の準備と普段の授業のあれこれをしながら,帰国を楽しみにしようと思います.