うどんたべたい

うどんをたべながらげんごがくをするぱんだのぶろぐ

すごくなれると思っていた

9月になりました。ここからアメリカ生活の終わりのカウントダウンかな、とおもうとしんみりします。


私の学部・修士でいっていた大学・大学院からはそれなりの数の先輩がアメリカに行っていました。大学にラッキーで入れた私から見たら、とってもキラキラして見えた先輩たち。ある研究会で発表する人たちはみんなアメリカ帰りか、外国の人。アメリカに留学したら、そんなキラキラした感じになれるのかなあと思っていました。

私のアメリカ生活もあと半年。私は全然キラキラしたという自覚はありません。私はまぐれで奨学金を取れて、まぐれで今の場所に呼ばれて、まぐれで今博論を書けば終わり、という状態になっていて、まぐれで次の行き先が決まりそうになっている。みんな私のことを hard workingなんていうけれど、それは私のもともとがバカだから、何倍もやらないとついていけないからだし、怠惰なところもたくさんあるのにただ気づかれないだけ。次の行き先が決まりそうなのも、私がたまたま女という性別だからだろうと、そう考えている。

多分あと半年で劇的に変わるということはないと思うと、私は5年間私のままだったということになるとおもう。それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。アメリカに行っても、(私から見て)キラキラした先輩たちみたいにはなれなかった。

それでも、それがアメリカ生活が無駄だったということにはならなくて、私はもし自分に出来ることがあるなら、いわゆる普通の家出身の純ジャパでも、留学して頑張れるということを他の人にも伝えていきたい。私がダメでもともとでやってみてうまくいった経験を、やってみても無駄じゃないかもしれない、といって若い人たちに伝えたい。

でもどうだろう、次の行き場は研究には決して向いているところではない。専門の科目は教えられない。私はそこが自分の最後の場所ではないと思っているけれど、実際問題として次の行き場にいけるくらいの経験を積めるだろうか。

でも何より大切なのは借りたお金を返して、自分の力で生きていくこと。そうじゃなければ本当はもう少しあとに働き始めたかった。ここで、少しでも実家が太かったり、借りたお金のことなど心配しなくていい人達のことを僻む気持ちが出てきてしまう。でも、私はそういうところに産まれなかったのだから、やれることをやって地道に生きていくしかない。

義妹にも子供が産まれた。幸い私が次に行きそうなところは、女性への手当が厚いようだ。子供も作りやすいかもしれない。でも、私は自分の子供には自分がしたような思いを絶対させたくないという気持ちから、子供は作りたくないと思っている。すでに義姉に子供が産まれた時点で自分の居場所がないというふうに感じていたけれど、そんなのを理由にして産まれる子供もかわいそうである。昨今話題にあがる生産性という言葉は私の胸にも重くのしかかっているのは事実だけれど、そんなものを理由にして産むのも失礼である気がする。とりあえず、自分の立ち位置として寄付でもなんででも、自分のような思いをする人が一人でも減るような働きかけができればいい、と最近は考えていて、じゃっその奨学金をちゃんと返し切るのもそのうちの一つ。働いて、若い人たちが次に使うためのお金を、せっせと返していく。


ダラダラ書いたけれど、昼からワインを飲んだ酔っぱらいのたわごとです。ごきげんよう